『東京腸女むすび』(15)

 お昼休憩の時間に、克仁さんと喫茶店でお会いするのも、これで二度目になりました。
 これで二度目というか、お休みの日にお会いしたことを含めても、まだ三回しかいっしょにお茶をしていないのですね。
 今のわたしが、どれだけ男性とお付き合いすることに向いていないか、嫌というほどお分かりいただけたと思います。
 こんな悲喜劇をいつまでも続けるのは、わたしにとっても、おそらく克仁さんにとっても良い結果はもたらさないので、今日は勇気を振り絞って、計画通りに克仁さんを、なんらかの色気のあるデートにお誘いしなければなりません。
 そして、デートを終えたら、伝家の宝刀「いいお友達になれそうですね」です。
 しかし、こちらからデートにお誘いするという行為が、こんなにも勇気のいることだとは考えていませんでした。
 そもそも順番的には、今日はいわゆる「克仁さんのターン」のはずなので、わたしがしゃしゃり出るのも憚られます。
 いっそ、克仁さんのお話を遮るように、わけの分からない話題をまくしたてたらどうだろうとも考えましたけれど、それができるほどの話題量もなければ体力もありません。明石家さんまさんだって、しゃべるたびに痩せると言われていたことがあったはずです。
 それに、克仁さんがあまりしゃべろうとしないのです。ひょっとして前回、わたしのことを知れてうれしかったと言ってくれたのは、ただのお世辞だったのでしょうか。
 内心は、妙な女を引っかけてしまったと後悔していたのかもしれません。あるいは、『ザ・ブルード/怒りのメタファー』を鑑賞して、そのあまりの内容に、わたしへの興味もすっかり失ってしまったのでしょうか。それならそれで、結果オーライでしょう。
 そう考えると、なんだか雲行きは怪しいわけではない気がしてきました。
 とどめの一撃として、こちらからの色気のないデート作戦を開始してしまったほうが良いかもしれません。
「あの、小竹さん」
 わたしがついに声をかけようと思った矢先、克仁さんが口を開きました。このタイミングの合わなさ、やっぱり深くお付き合いするのは避けたほうが良さそうです。
「もし嫌でなければ、明後日の花火大会をいっしょに見に行きませんか?」
 克仁さんのほうから、恋愛イベント的な催しに誘われてしまいました。これはチャンスと言ったほうが良いのでしょうか。
 しかし、花火大会ですか。それは、ちょっとわたしにはおそろしすぎるお誘いですね。
 ここの花火大会は、やけに盛大で人も大勢集まるのです。腸の飛び出た女が参加するのは、少々危険度が高過ぎるような気がします。
 腸もまた痙攣をはじめています。
 困ってしまって、ひくひくひく。

      ○      ○      ○

 花火といえば、かつてサトウさんが、こんなお話をしていました。
「ぼくの友達が、彼女さんと花火大会に行ったんですよ。その彼女さんは花火が大好きだったらしいんです。そして、好きなことに熱中しはじめると、周りが見えなくなってしまうタイプの人なんだそうです。それで、花火がはじまる直前に、ぼくの友達は、なにか飲み物を買いにいったんです。彼女さんには、あまり動かないで待っていてくれと言って。でも、花火がはじまると、彼女さんは夢中になってしまって、よく見える場所に移動してしまったそうです。友達は、彼女さんがいないことに気づいて、あわてて探しまわりました。ようやく見つけて、『待っててくれと言ったじゃないか』と怒ったそうです。どれくらいはげしく怒ったのかは分かりません。それでも、花火大会が終わった後、友達は彼女さんに、『色々あったけれど、またいっしょに来ようね』と言いました。でも、彼女さんは、『迷惑をかけてしまうからいいです』と断ったそうです。そうしたら友達は、『そんなふうに自分から可能性を摘んじゃだめだ』と伝えたそうです。どうやら友達は、その彼女さんが自分に自信がもてず、どちからと言えばひきこもりがちなことを心配しているみたいなんです。ここまでの話を、その友達はツイッターで呟いていました。何人かが“いいね”を押していたんですけど、どうもぼくには納得できないんです。なにかいやな感じがするんです。でも、そのなにかが分からなくて。変なことを聞いてしまって申し訳ないのですけど、小竹さんはどう思いますか?」
 わたしも、なんだかいやな感じがしました。サトウさんに意見を合わせたわけではなく、なにか引っかかるものを感じたのです。でも、その時には、それがなんなのか、サトウさんと同じように分かりませんでした。
 なので、「わたしもいやな感じはするのですけれど、理由がつかめません」とお伝えしました。
 でも、今なら分かる気がします。
 彼女さんは一人で行けば良かったんです。
 そうすれば、好きな花火を誰にも邪魔されず、心おきなく楽しめたんです。もちろん、誰からも怒られることもありません。
 だから、「また行こう」というサトウさんのお友達の言葉に対して彼女さんが「迷惑かけるからいい」と答えたのは、ひょっとしたら「今度は一人で行きたい」ということを伝えていたのかもしれません。
 たぶん、それに気づけないサトウさんのお友達に「いやな感じ」がしたのだと思います。
 なんでもいっしょに行く必要なんかありませんし、一人のほうがいい時だってあるのです。
 そもそも、どうしてそんな二人だけのプライベートなお話を、お友達であるサトウさんだけにならまだしも、ツイッターなんかで呟いてしまうのでしょうね。
 ちなみに、このお話は、大学の他のお友達にも聞いてみたのですが、「それって、サトウさんの別の彼女についての話なんじゃないの?」と言われてしまいました。そんなことは考えもしませんでした。

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 高く打ち上げられた花火を見るために、顎を上げて、「たーまやー」と叫んでいると、喉を切られてしまうかもしれません。なので、花火を見るときは、顎を上げずに「たーまや……」。こうやって見てください。
 腸が飛び出てからも、いつだってわたしを「ふふふふふ」と笑わせてくれる大好きなお笑い芸人さんのコントに、そんなくだりがありました。
 わたしは、花火に目もくれず、「ふふふふふ」と思い出し笑いをしてしまいます。当然、顎は上がっていません。喉を切られたら大変ですものね。腸が飛び出ても平気な女ですが、喉を切られるのはごめんです。
「あの、どうかされました?」
 隣にすわって花火を見ていた克仁さんが、わたしの顔をのぞきこみます。
 みなさま、ひょっとして驚かれましたか?
 そうです。わたし、克仁さんからのお誘いを受けてみることにしたのです。
 人ごみはなるべく避けているわたしにとって、これは大冒険と言っても良いでしょう。さすがに浴衣姿ではありませんけれどね。腸はしっかり隠してあります。
 そもそも、花火だって好きではありません。
 子供の頃、わたしの家にも音が届いてくる花火大会がありましたけれど、どーんどーんという音が気になって眠れませんでした。
 もちろん、花火が見たくて気になったというわけではありません。単純にうるさかったのです。花火だけではなく、同じ時期に開催されている盆踊りの音も苦手でした。わたしはよく眠る子だったので、睡眠を妨害するものは、すべてわたしの敵でした。
 今日の花火大会なんて、わたしのアパートから、歩いても一時間とかからない場所が会場なのです。毎年毎年、うるさくてかないません。人がたくさん集まってきてしまうのも、いただけませんね。
 なので、例のサトウさんのお話に関しても、そもそも、周りが見えなくなるほど花火に夢中になってしまう彼女さんの気持ちが分かりかねる部分もあったのでした。まあでも、その点に関して「いやな感じ」がしたわけではありません。それは、好き好きですから。
「いえ、ちょっと思い出し笑いを」
「そうですか」
 克仁さんは、わたしが何を思い出して笑ったのかは聞きませんでした。聞かれてもお答えしにくいので、わたしにとっては幸いです。
「花火が嫌いなので、好きな芸人さんのコントを思い出していたのです」
 そんなことを言おうものなら、だったらなんで来たんだよ、という話になりますよね。克仁さんに対してというより、花火職人さんに対して失礼です。わたしが恥をかくだけなら、もうかまいません。あの日のお茶以上に恥ずかしい経験なんて、そうそうないでしょう。ですが、花火職人さんに失礼な言葉は控えるべきです。なので、わたしが花火に目もくれていなかったことは心に秘めておきましょう。飛び出た腸と同じように。
 だいたい、わたしは花火を見に来たわけではないのです。「花火大会」という、デートにふさわしいシチュエーションの最後で、きっぱり「いいお友達になれそうですね」とお伝えするためだけに、危険を承知でこの場にやって来たのです。
 とにかく、その台詞は、なるべく明るく切り出さなければいけません。
 悪意を感じさせず、心の底から「いいお友達になれそうですね」と言うのです。
 今日の花火大会をきっかけに、克仁さんとは、いっしょにお茶をする前のような、ただの店員とお客さんの関係にならなければいけないのですから。
 あまりイライラして、角が立つ別れ方をするのはいけません。
 嫌いな花火をじっと眺めていると、腸がひくひくしてきてしまうので、これは気をつけなければいけません。周囲のにぎやかな話し声もシャットアウトです。
 顎を上げると喉を切られる。顎を上げると喉を切られる。
 ふふふふふ。
 きゅんきゅんきゅん。