『東京腸女むすび』(18)

 わたしが祖母のお墓参りをさぼっていた理由は、両親には車の運転が苦手だからだと伝えてあります。
 罰当りな理由と思われるかもしれません。
 嘘ではないのですけれど、しかし、やはりどこかで祖母の記憶と対峙することを避けていたのでしょうね。
「このお供えの団子、食べてみたことある? びっくりするくらい美味しくないよ」
 祖母のお墓にお供えした、紅白の積み団子を指差して、塔子さんが言いました。これを塔子さんが食べたことがあるという事実に驚きです。なんて好奇心旺盛なのでしょう。
「生きた人間が食べるために作られたものには見えませんからね」
「うん。ほら、なんか妙につやつやしてるでしょ? でも、すっごいねっとりしてんの。ねちょって感じかな。一個食べただけで、しばらく胸が鉛色になっちゃって。ただでさえ食の細いなっちゃんなんだから、これは絶対食べちゃだめだよ」
 大丈夫です。たぶん、このお団子に限らず、わたしは食事とは無縁の生活を送っていくことになりますから。
 とは言えないので、わたしは「ご忠告、しっかり心に刻んでおきますね」と言いました。
「塔子さんは、これから同居人の方とどうされるおつもりなんですか?」
 わたしは、祖母のお墓を用意してきた新品のタオルで拭きながら、塔子さんに尋ねます。
「洋ちゃんと? べつに、このままだよ?」
 同居人の方のお名前は、「洋ちゃん」とおっしゃるのですか。
 わたしは、はじめて明らかにされた塔子さんの同居人のお名前を頭に刻みこみます。
「このまま、ですか」
「なんなら、あたしたちか、なっちゃんのどっちかが引っ越して、一緒に住む? 楽しいかもよ」
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 あら、いけません。ときめいてしまいました。わたしは腸の飛び出た女だというのに。
 でも、なんというか、本当に勝手な憶測ですけれど、塔子さんや、塔子さんの周りの奇々怪々な方々なら、腸の飛び出た女でさえも、すんなり受け入れてくれるのかもしれませんね。
「前向きに考えさせてもらっても良いのですか?」
「うん。もちろん」
 塔子さんは、敷地内の雑草をむしりながら気持ちよく答えてくれました。
 わたしはお墓を拭き終え、タオルをビニール袋にしまいます。
「ロウソクと線香やっとくね」
 なんでもてきぱきこなす塔子さんは、昔わたしがいつも難儀したロウソクへの着火作業も、タバコに火をつけるかのようにさらりと完了し、つづけてお線香もロウソクの火にあぶして、良い香りを辺りに漂わせました。
 わたしは久しぶりの祖母のお墓を前に、すがすがしい気分で手を合わせます。
 おばあちゃん、紹介しますね。この人は、わたしの大切なお友達の塔子さんです。
 塔子さんも、わたしに並んで手を合わせてくれています。わたしも塔子さんも、祖母が考えていた「普通の女の子」ではないのでしょう。安らかに眠っているはずの祖母には、少々刺激が強すぎる二人かもしれません。でも、ちゃんと報告しなければいけませんね。
 おばあちゃん。よく聞いてくださいね。世界は変わりはじめています。

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 帰りの車の中で、わたしは塔子さんに、「せっかくですけれど、やっぱりわたしは旅行には行けません」とお答えしました。
「あら、残念。一緒にキャンピングカーで暮らすの嫌だった?」
 そんなことはありません。
 腸が飛び出ていようがいまいが、塔子さんのお誘いなら、いつだって、どこへだってついていきたいのです。
 しかし、今回は、わたしにはやらなければいけないことが出来たのです。
 わたしは、塔子さんに「ぜひ、またの機会に誘ってくださいね」と強くお伝えしました。そして、今回の旅行には参加できなくなった理由も告げました。
「実はわたし、東京に行かないといけなくなったんです」

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 嫌われ者の新田さんのお部屋を出て、サトウさんといっしょに電車に揺られているときのことです。
 学生も社会人もあまり見かけない時間帯です。電車の中は、とても空いていました。
 サトウさんは、中学生の頃から好きだという、ある音楽グループのことを教えてくれました。
「この人たちの歌を聴きながら、夕暮れどきに、人の少ない電車に乗って、生田あたりから代々木八幡あたりまでの景色を眺めてみたら、きっと涙がこぼれてきますよ」
 あの頃、サトウさんは、ポータブルMDプレーヤーを使っていました。当時でも、少々時代遅れといった感じです。
 サトウさんは、プレーヤーにその音楽グループの曲を録音したMDを入れました。そしてイヤホンを右耳にだけ差し込みました。
「聴いてみてください」
 わたしは、もう片方のイヤホンをサトウさんから受け取り、自分の左耳に差し込みます。
「特にこの歌です」
 片耳ずつのイヤホンで聴かれるのは、音に細かくこだわるアーティストさん側からすれば、あまりうれしくないことかもしれません。
 ですが、その時のわたしにとっては、この世にこれ以上美しい歌があるのでしょうか、なんてことを思ってしまうほどに素敵なものでした。
「山上さんがファンだって言っていた子が、この歌のプロモーションビデオに出演していましたよ」
 映画だけではなく、映像作品全般に詳しかったサトウさんは、そんなうんちくも教えてくれました。
「代々木八幡の歩道橋にも、その女優さんはいたはずです。別の映画の話ですけどね。好きな映画なんです」
 歌とサトウさんの声が混ざりあいます。
 これもまた、音楽を送り出す側としては、望ましくない聴き方でしょうか。だからなのか、涙は出ませんでした。幸せだったからかもしれません。
「経堂駅あたりの民家の屋根が並ぶ景色も良いのですよ」
「わたしは下北沢の街並みが好きです」
「あそこも良いですね」
 眠ってしまいそうなほど、気持ちの良い空間でした。ついさっき、ゴキブリに怯えていたというのに、おかしなものです。
 また、あんな気持ちになれるでしょうか。