静養日記20 〜そうして私たちはプールに『ノスタルジア』を、〜

 母校の小学校が閉校して2年半ほどになるが、数日前、ちょっと思い立って校舎の様子を窺いに行ってみると、校庭を含めた周囲の敷地は思ったほど荒れてはおらず、むしろ閉校までの最後の数年間のほうが整備が行き届いていなかったように感じる。

 どうやら、老人会のみなさんが花壇の整備などを定期的に行っているようなのだが、児童がいなくなってからのほうが敷地が綺麗になるというのも、なんだか皮肉なものである。

 私が通っていたころの校舎は、新築されたばかりで、内も外もぴかぴかであった。既に諸事情により、ぴかぴかの一年生とは言い難いほど内面の荒みを隠しきれない状態だった私なんぞより、よっぽどぴかぴかの校舎だった。卒業後の数年間、少なくとも私が地元に住んでいた高校時代くらいまでは、たまに見かける限り、それなりに整備は行き届いていたはずだった。

 それが、私が映画学校に入学し、地元の様子を目にするのは夏休みや正月に帰省する時だけという頃になってから、やけに「荒み」が目につくようになった。プールなんて、よくこんな汚い所に平気で浸かっているものだと思った(念のために記しておくが、決して児童を覗きに行ったわけではない。学校の近くに用事があって行った際、水は張ってあるが人はいない状態のプールが目に入っただけである)。

 プールは閉校後、さすがに再利用されることもなく、現在は野ざらしにされている。映画『ノスタルジア』(1983年/監督:アンドレイ・タルコフスキー)では、「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」と聞かされた主人公が、それを実践する。私は近頃、あの野ざらしのプールの中で蝋燭に火を灯し、火を消さずに三往復できたら、小学校時代の様々な怨みを晴らすことができるのではないか、という謎の妄想を抱いている。本気で実践しようなどとは、今のところは考えていないのだが、もしうつ病の症状が悪化したら、ひょっとして夜中に亡者のようにあのプールへ引き寄せられていくのではないかと少し心配にはなっている。


『そうして私たちはプールに金魚を、』予告編A -And so we put goldfish in the pool.(TRAILER)