静養日記30 〜秋ナスに嫁を食わすな〜

 昼食にナスを焼いていると、ふと10年ほど前に亡くなった父方の伯父のことを思い出す。伯父は教員だったのだが、料理がまったくできず、というかいわゆる「男子厨房に入らず」な人で、それどころかポットや電子レンジすら使えない人であったらしい(らしい、というのは、亡くなってからはじめてそんな話を聞かされたためである)。目玉焼きは料理じゃない、なんて話ではなく、伯父はカップ麺やインスタントコーヒーすら作れない人だったのである。

 かつて、腐れ縁のお嬢が「料理って言うから、面倒なことを想像するんじゃないの? 加熱による殺菌・殺虫って言い換えれば、男子厨房にとかわけのわからないこと言ってるような連中の何パーセントかは動かせるんじゃないの? 味なんて、どうせ繊細な舌なんか持っちゃいないんだから、塩と胡椒と醤油かなんかでごまかしとけばいいじゃない。そういう食生活で身体壊したとしても、こっちの知ったことじゃないし」と言っていたが、伯父はおそらくその「何パーセントか」には含まれない人種だったのではないかと思う。

 伯父がもし、もっと長生きして、一人で生活することになっていたら、どうなっていただろうと考える。さすがにコンビニで弁当を買うことくらいはできたようなので、金銭的に困窮さえしなければ、餓死してしまうことはなかったと思うが、そこまで生活能力のない伯父が一人で暮らす家というのは、ゴミ屋敷状態になっていたかもしれない。父は伯父と不仲だったようだが、幸いというべきか、死後にゴミ屋敷の片付けという面倒を背負わされることはなかった。

 私は少量の塩・胡椒で味付けした焼きナス、そして、白米とインスタントみそ汁、ほうじ茶による昼食を静養中の身らしく、ゆっくりといただいた。ゴミ屋敷云々という話は、今になって考えたことであり、食欲を失ってしまうこともなかった。もう少し、肌が丈夫であれば、洗い物の際に毎度毎度ゴム手袋を使う必要もなかったのだろうけれど、こればかりは仕方ない。伯父は私より肌は丈夫だったであろうから、その部分くらいは受け継いでも良かったかもしれない。

 追記:「秋ナスに嫁を食わすな」だと『キラートマト』っぽい感じである。