予言者様は平和がお嫌い

 恒例となったTBSの年末特番『クイズ☆正解は一年後』(12月30日、夜11時55分〜2時5分放送予定)を楽しみにしつつ、私も2018年に何が起こるか、なんとなく予想してみようかと思ったが、私は予言者ではないし、どちらかと言えば平和を愛する人で、さらに言えば、平和ではなかったとしても最終的に笑えればそれでいいくらいのええかげんな人間でもあるので、予想する内容はどうでもよいものばかりである。ミック・ジャガーがアボカドに飽きるとか、スティーヴン・タイラーがついに太るとか、そんなことくらいしか思いつかないので、ブログに書き記す気にはならない。芸人さんたちのように気の利いたコメントができるわけではないし、第三次世界大戦だの日本沈没だの松居一代政界進出だのといった暗い話をしたいわけでもないのだ。

 そもそも、予言や予見を公にするというのが好きではない。世の中には、大なり小なり予言したがる人間というのはたくさんいるもので、聞く側は、そのひとつひとつを細かく覚えてなどいられない。なので、当たらなかった予言なんてものは、よほど大仰に発表していない限り、大半は予言されていたことさえ忘れられてしまう。それをわかったうえで、的中したり、近しいことが起きた時にドヤ顔したいだけなのだろう。

 似たようなものでは「先見詐欺」(勝手に私がそう呼んでいるだけ)というのがあって、ようするに、後出しジャンケン的に「俺はこうなることわかっていたけどね」といったことを言いたがる輩で、予言よりもリスクが少ない分、世界に多く存在している。どちらも気持ちの良い存在とは言えないが、残念なことに人口減少が深刻化しつつある日本においては、こういった方々も無下にはできないのである。

 そもそも、予言に限らず、なぜ自分に本質を見抜くような力があると信じ込めるのかが謎である。多くの有名な予言者は、神の啓示といった超自然的な要因によって説得力を持たせようとしており、それ自体がインチキくせえと思ってしまうものだが、むしろ事実であろうと言い訳であろうと、人間に予言が可能だとしたら、それはもう超自然的な理由しかあり得ないはずで、そういった理由を持たない、その辺の一般人が予言めいたことを軽々しく口にしているほうが胡散臭いというかアホ臭い話なのではないかと思う。良いか悪いかは別として、予言の理由を超自然的な何かに求めるのは妥当なのであり、そうではない人間の述べる予言など、オカルトをオカルトとして楽しむということさえできない、どうしようもない代物のように感じる。

 つまり、ふざけているわけでもなく、「ムー」が相手にしてくれるわけでもない予言など、世界に必要のないものランキングの上位に位置するのだろう。

ムー 2018年 01 月号 [雑誌]

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