バンドエイドの貼り易い部位は滅多に怪我しない

 「“ごめんなさい”が言えない人間とは分かり合えない」と言っている人のうち、自分が悪い場合でも相手に「ごめんなさい」を言わせようとするタイプの人がどれだけ存在しているのだろう、なんてことを考えてしまい、より一層「ごめんなさい」が言いにくくなって人を避けるようになりつつある私ですが、そのような危うい精神状態のくせに、ちょっくら精神のリハビリにと最寄の街を徒歩でふらついてみたりしたのだが、すれ違ったり、たまたま近くにいた人たちから笑い声が聞こえると、自分はなにかおかしなことをしでかしただろうかと不安になる症状はまったく改善されておらず、そこそこの距離を移動するうちに足だけでなく心までひどく疲れてしまい、気付いたら何故だか手の甲にも痛みが……と思って目をやると、生まれながらの乾燥肌が11月中旬の北海道の気候に耐えられずにひび割れて、なかなかのスプラッターな装いとなっており、ひょっとして先ほどの笑いはこの手を見られたことによるものなのか? いや、だとしても笑われるのはおかしくないか? 気遣ってくれとは言わないが、笑うことはないだろう。人はあまりの恐怖に対しては笑うしかなくなると聞くが、そこまで怖い状態でもないはずだ。だいたい、自らに迫った恐怖でないと「笑うしかなくなる」という心理には陥らないような気がする。とすれば、出血のせいではなく、やはり私自身が「笑われてもしょうがない奴」と判断されたのか? 私が悪いのか? 「ごめんなさい」と言えということか? でも、本当にその場で「ごめんなさい!」なんて言ったら、それこそ恐怖にひきつった笑顔を見ることになるんじゃないのか? などと被害妄想的な思考が生じはじめたところで、なんとか平静を保って最寄駅に入り、患部をアルコールティッシュで拭き、渇いたあたりでバンドエイドを貼りつけようとしたが、微妙に貼りにくい形の部位であるうえに、渇くのを待っている間にふたたび血が素肌を汚し、ティッシュもバンドエイドも余計に消費してしまい、うんざりしながら売店で安物の黒い手袋を購入して肌の露出を減らしたものの、なんだか不審者感が増幅されてしまい、おとなしく家に帰ることにしたのだが、はたして私は何かに対して謝る必要はあるのでしょうか。まあ、生き方は誤っているような気はしますけれどね。