「死体置き場の中の一番カッコいい死体でありたい」とリバー・フェニックスは言った

 1994年、アメリカの競馬場で馬に蹴られて死のうと考えた自殺志願者の男が乱入したことがあった。幸いと言っていいのかどうかは悩むところだが、男は馬にぶつかることすらできず、騎手や馬の側にも怪我はなかったようで、男はそのまま精神病院へ送られたらしい。事件の様子は競馬中継のカメラに記録されており、私はフジテレビ『スーパータイム』の特番で見た。

 はじめて見た時は、随分と変わった死に方を選んだものだと思ったのだが、死後に晒される自分の姿(天国や地獄といった話ではなく、単純に死体のこと)について考えを巡らせてみると、自殺に追い込まれてしまうような精神状態で出した結論としては、案外、良い方法だったのかもしれないとも感じた。

 故・淀川長治先生が絶賛し、今村昌平監督『うなぎ』と共に第50回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したアッバス・キアロスタミ監督『桜桃の味』は、自殺志願者の男が自分の遺体に土をかけてくれる者を探すという内容の作品だった。自殺は自分の死に様や死後に晒す姿をある程度コントロールすることができるわけだから、いくら精神的に追い込まれていようと、そこに自分なりの美学が生じることは何ら不思議ではないだろう。せめて死に様くらいは綺麗なものにと考えるのならば、死後に残される自分の死体があまりにも惨たらしい姿を晒すことは避けたいはずである。

 競馬場の男について言えば、まずレース中の競走馬に蹴られて死んだ遺体が極端に惨たらしい姿になるとはあまり思えない。『デスファイル』シリーズなどに収録された鉄道自殺者の遺体の惨さは形容し難く、作品内でも「これを見て鉄道自殺だけはやめようと思っていただければ幸いだ」というナレーションが入っているが、それに比べれば見た目の悲惨さは低いであろう。そして、なにより遺体が長期間放置されることがない。外傷を残さない死に方は多く存在するだろうが、遺体が発見されるまでのことまで考えると、結局は惨たらしい姿を晒してしまう危険性は高いのだ。競馬場のような公衆の面前であれば、即死であってもすぐに救急車が呼ばれ病院に運ばれていくだろう。腐敗の進んだ痛々しい姿を晒す可能性は極めて低い。追いつめられた精神状態ゆえの奇行のように思えたが、ひょっとすれば、そこまで考えたうえでの選択だったのかもしれない。

 ところで、『桜桃の味』を最初に観た後、私は犠牲者の遺体を必ず手厚く葬ることを信条とする連続殺人鬼の話を書こうと思ったのだが、当然、簡単に手を出せる題材ではなく、いまだに大まかな構想だけをレポート用紙に書きなぐったまま、引き出しの奥で眠らせている。今以上に病弱だった幼少期、頻繁に入院をしていた病院は、小児科の隣に大きな扉があり、いつもそこは閉じられていて、どうやらその先は心療内科か精神科の病棟だったらしいのだが、しばらく私は病院で亡くなった人たちが安置されている場所だと思い込んでいた(現在もこの病院は存在するが、建物自体は17年ほど前に建て替えられ、当時の面影はない)。入院中に何度か扉の先に両親が案内されていく夢を見た。そのせいかどうかはわからないが、物心ついた時点から人一倍死を恐れ、そのくせ死に関するものから目が離せず、レンタルビデオ屋に行くたびに悪趣味なほど『ジャンク』シリーズや『デスファイル』シリーズの置かれた棚の前に釘づけになる。考えてみれば、今もさほど変わっていないのだが、そんな私が先述の構想を書き上げる日は来るだろうか。意志を継いでくれる者も土をかけてくれる者も見つかりそうもなく、さて、どうしたものか。

 

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