20180225

 まだ実感が湧かない。信じられない。これまでにも好きな俳優、ミュージシャン、作家などの訃報にショックを受けたことはあるし、親族や知人の死も何度か経験してきた。そのなかには、あまりにも早く亡くなってしまった人もいる。だが、ここまで実感が持てないのは初めてかもしれない。

 ふざけた言い方に聞こえるかもしれないが、なんだか「嘘くさい」とさえ感じてしまう。しかし、私以外にも、何かの悪い冗談か企画の一環だと思った人たちはいたようである。それこそ、1991年に放送された『とんねるずのみなさんのおかげです』における木梨憲武死亡ドッキリ企画や、それを基にした『桑田佳祐の音楽寅さん』第2期の初回放送「桑田佳祐の追悼特別番組」のようなものではないのかと考えた。テレビ東京は、このところ『山田孝之東京都北区赤羽』などフェイクドキュメンタリー的な企画が続いていることもあり、今も心のどこかで、憲武さんや桑田さんのようにひょっこりと現われて笑わせてくれるつもりなんじゃないかと思ってしまっている。だとすれば、さすがにやり過ぎの感があるし、それに伴って炎上が起きてしまうのは嫌だなあ、なんて心配までしている。そんな馬鹿げたことまで考えてしまうほど実感が持てない。ふと目にした新聞のテレビ欄に「大杉漣さん追悼」という文字を見つけてもである。

 大杉漣さんのことを、私は当初「パイカルの人」と認識していた。『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』で漣さんが演じた悪役のことである。1989年の1月から7月までの放送作品なので、私はようやく3歳になる頃。「大杉漣」ではなく「パイカルの人」という認識だったのも無理はないだろう。そんな「パイカルの人」をパイカルではない姿で初めて認識したのは、『世にも奇妙な物語』の「顔」(1992年放送。主演:きたろう、脚本:三木聡、監督:平山秀幸)だ。この時の漣さんは老ホームレスのような姿で、まったくパイカルではなかったのだが、私は「あ、パイカルの人」と思った。そこから私は「俳優・大杉漣」のファンになった。そしてそれは同時に、私が日本の映画やテレビドラマを熱心に観はじめるきっかけの一つでもあった。なにしろ「パイカルの人」は、いたるところで私を惹きつけてくれたからだ。

 この日記を書き終えてなお、実感が湧かない。本当なのだろうか。

現場者―300の顔をもつ男

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