桜前線離脱大作戦

 我が家の庭には桜の木がある。

 とは言っても、高さは私の身長より少し高いくらいで、なにより今は亡き伯父が出来もしないのに雑な剪定をしたせいで、ほぼ枯れ木状態で、なぜこんなみすぼらしい枯れ木をそのままにしているのだろうと思われても仕方のない姿である。

 だが、この桜、毎年しぶとく一本の枝だけに花を咲かせており、頑固に「わしは生きているのだ!」と主張し続けること約三十年(伯父による剪定という名の虐待が行われたのは、私が生まれてすぐくらいの事だったらしいので、瀕死期間も私の現在までの人生と同じくらいということになる)。どれだけみすぼらしくとも、さすがに切り倒す気にはなれないでいる。

 もっとも、さすがにこの状態では桜前線になど立てるはずもなく、桜界の傷痍軍人といったところだろう。いや、かなり若くして無駄に枝を切り落とされてしまったため、そもそもどれだけ桜前線の戦力が不足し、なおかつ桜界が軍国主義に傾こうと、招集されることはなかったかもしれない。ゆえに、この桜が我が家の庭に春の訪れをはっきりと報せてくれたことはない。我が家の庭に春の訪れを報せる役割は、もっぱらふきのとうや福寿草といった野草が担っており、桜のほうはと言うと、あまりに意識が朦朧としているせいか、とんでもなく時期外れに花を咲かせたりする有様で(もちろん、この辺りの気候の変化の影響もある)、人によっては安楽死を勧めてくるかもしれない。

 しかし、早々に前線から離脱しながら、それでもしぶとく生きる桜の姿は、静養中の身としては妙なシンパシーを感じなくもなく、たまに窓から眺めて茶を啜ったりしている。いや、別に『最後の一葉』的なことを考えているわけではないけれど。

オー・ヘンリー傑作集〈1〉最後の一葉

オー・ヘンリー傑作集〈1〉最後の一葉