春の恵みを必要性に迫られることなく享受する

 庭に咲く福寿草の数が例年より多いのだけれど、これで我が家にも多くの福が舞い込むなと素直に思える性格ならば、実際に福を感じることも多かったことだろう。残念ながら、静養中の身であることからもわかる通り、私はそんな幸運な性格ではない。

 まあ、福寿草というものは、古くからの園芸植物でもあるように、見た目のかわいらしい植物であるため、ぼんやりその姿を眺めるのも悪くない。福寿草が多く咲いたということ自体、気分的には良い出来事なわけで、わざわざここで私という人間の奥底まで染み込んだネガティブさを余計に刺激する必要もあるまい。毒草なので、採って食ったりしたらいかんけれど。

 採って食うといえば、つくしも例年より沢山顔を出していて、その気になれば、しばらくは財布を痩せさせることなく食糧を確保することができる。あまり、その気はないけれど(どちらかといえば、ふきのとうを採る)。

 そもそも春は風が強いことが多いうえ、周囲の農家が畑仕事をはじめるので、土埃も激しく、あまり外をうろつく気にはなれない。下手に窓を開けておくと、土埃が舞い込んできて家の中が汚れてしまうし、鼻の粘膜があまり強くない私は、頻繁に鼻血を出してしまう。静養中の身でなくとも、なるべく屋内でじっとしているべき時期なのである(それにしても、農家の皆さんもなるべく口や鼻を覆って仕事をしているなか、半袖短パン姿で毎日相当な距離をランニングしている名も知らぬおっちゃんは、いったいどれほど強靭な鼻の粘膜を持っているのだろう)。

 春の恵みは、あくまでも窓越しに目で楽しむのが我が家の流儀である。