水と間違えてガソリンを撒く者もいれば、ガソリンと間違えて水を撒く者もいる

 人を蔑むような言動はどんな場合でも駄目だと言っていたはずなのに、「マスゴミ」という言葉を平気で公に呟き、しばらくして「自分がマスゴミと呼んでいる対象は呼ばれてもしょうがないようなタイプのものだから云々」なんて言い訳を口にしていた人が、スマイリーキクチさんの「ネットモラル系の講演を聴くと悪口やネットいじめは駄目という話はあっても、“自分では悪を懲らしめると思った行為が犯罪になる”という話はない。ネットリンチをする人は悪口だとは思っておらず、良いことをしてるつもり」という旨の呟きをリツイートしていて、いったいこの人には整合性という概念が存在しているのだろうかと感じた(ニーチェの言葉を引用しているのを見たこともあるが、悪だの正義だのという言葉も軽く使っている印象があるので、どちらかというとイデア論を浅く信仰しているように思える)。

 しかし、整合性というものも、傍から見ればどれだけ散らかっているように見えても、本人が正しいと思い込んでいる場合、そう簡単に説得できるはずもなく、また「怒りを露わにすることの気持ち良さ」というのが確かにあって、この快楽もまたそうそう抗えるものでもないのだろう。自分にも思い当たる節は山ほどある。

 それでも見苦しい態度を出来るだけ晒さないようにするために心がけているのは、大きく騒がれている事柄にはなるべく触れないようにするということで、どれだけ何か言っておきたいことでも「怒りに任せて発言することで、事態が自分の望まぬ方向に行ってしまう可能性」を考慮することによって、沈黙は金なりの姿勢を崩しにくくなる。

 幸い、根拠のあるなしに関わらず、自信というものを持つのが苦手な性分なので、自分の言葉が意図した通りに伝わらないという不安にも常に苛まれている。ゆえに、「怒りに任せて発言する」というリスキーな行為にも慎重になることができる。逆に言えば、それをリスキーな行為だと欠片も感じていないような者は、病的なまでの自信家なのではないかと思ったりもする。