『この西瓜ころがし野郎』(2)

 和尚はすでに和尚ではなくその呼称は和尚時代の名残であり和尚という綽名と化しているだけなのだが今の和尚よりも和尚はよっぽど和尚なのでこの土地の人間はみな和尚を今なお和尚と呼んでいるわけで、和尚を和尚と呼ばぬ西瓜ころがしの老人が土地の鼻つまみ者となっているのも無理もないこと、そんな和尚が西瓜ころがしの西瓜を川魚の急坂から蹴り落としてやろうというのだから私以外の土地の者が一緒について来てしまうのもこれまた無理もないこと、先頭を切ってついて来るのは、ちょっと前までは砂糖だいこんを育てるのに適した土地を見抜く仕事で儲けていた男で、神を見たい犬の飼い主である女と暮らしはじめてからは、長いこと放置されていたイソセ川の渡し守となり、土地の者が機嫌の大木に手を合わせに行くのに葡萄畑を抜ける必要もなくなり、かかとひじりに噛まれる者などとんだ間抜けくらいしかおらず、カケイのおやじが仕事を変えるきっかけにもなったのだが、おやじのやつは昔から機転が利くもので、自分がかかとひじりに噛まれることがないのを良いことに、葡萄酒を大量に作って売りさばき、もうこれ以上稼ぐ必要もないほどであったが、葡萄酒作り自体が楽しくなり、毎日葡萄の匂いを漂わせながら笑いもとまらず、これが西瓜ころがしには気にくわないようで、まわりまわってイソセ川の渡し守にちょっかいをかけはじめるのだが、渡し守は渡し守で西瓜ころがしが来るのを見計らってさくらなまずを焼くものだから、西瓜ころがしはどうにも近寄ることができず地団駄踏んでいる間に余計な西瓜が育ちすぎて、余計に土地の者から非難を受けることになり、どうにかこうにか取り繕うと西瓜ころがしなりの倫理観を機嫌の大木前の小屋に貼りだすのだったが、これがまたひどく汚い字であったうえに、いかにも西瓜ころがしらしい偏った倫理観だったものだから、西瓜ころがしの老人は陰で鐘爺という不名誉な綽名で呼ばれることになったのだった。