『この西瓜ころがし野郎』(5)

 野良うずみというやつは、口にできるものが目に入れば躊躇うことなくもしゃもしゃとやりはじめるので、鐘爺の犬の餌に限らず、ひびの入った西瓜なんかにも顔を突っ込むものだから、西瓜ころがしにとっても厄介な存在で、仮に野良うずみの毛皮が高く売れるのだとすれば、皆こぞってその毛皮を剥いだことであろうが、残念ながらそれほどの価値もなく、もし価値があるのだとしてもそれは遠い異国の話であって、この土地から異国の地へ向かうなど、いくら野良うずみの毛皮に価値があったとしても割に合わないこと、だが古い人間のなかには野良うずみの毛皮には興味を持たずとも、野良うずみの肉を好んで食べる者が稀におり、さすがにこの土地にはもういないようなのだが、少し離れた土地には何人か残っているようで、時には道端に壺やら皿やらが割れて出来た鋭い破片混じりの餌が転がされていて、これは野良うずみの肉を好む者が置いていた罠であり、野良うずみの奴はどれだけ仲間がその犠牲になっても放置された餌をもしゃもしゃすることがやめられず、ひょっとすれば野良うずみには仲間などという感覚はないのかもしれず、ゆえにこのご時世においてもたびたび喉を切った野良うずみが倒れているのを見かけることもあるが、鐘爺のやつは野良うずみの肉を好む者を激しく非難していて、倒れた野良うずみを見つけるたびにやけに立派な墓をこさえていたのだが、なぜまだ息のある野良うずみまで埋葬していたのかは誰も理解できず、そもそも道だろうとなんだろうとおかまいなしに野良うずみの墓など作られてはたまったものではなく、いくら注意されても「野良うずみがかわいそうだ」の一点張りであった鐘爺が厄介者であったことは、鐘爺の顔も知らぬ日向の娘たちでさえ大いに認めることなのである。