『この西瓜ころがし野郎』(8)

 もちろん、番台の女の笑い声が常に鈴蛆の湧いたような声であることは理解できるのだが、理解できないのは、どのような生活を送れば笑い声が常に鈴蛆の湧いたような声になるのかであって、おそらくそれを注意する者も傍にはおらず、大口を開けて笑うものだから酷い臭いも撒き散らされ耳にも鼻にも悪く、大概の人間ならばぐっと息をこらえて遠ざかること間違いなし、我々もみな早々に店から退出していたわけで、会計中だった少女がどうなってしまったか気にする余裕もなく、カケイのおやじが「だから言ったろう」と呟くとサトリの妻が「靴を覆うものの前に鼻を覆うものを買うべきだった」と言い、どこからか「あの女の口を塞ぐのが先だろう」という声も聞こえ、しかしながら、誰も再びあの店に入りたがらず、おそらくは店を訪れる誰もが同じ思いで息をこらえて退出するものだから、結局なにも解決されることもなかったのだろう、だがそれも仕方あるまい、我々には我々のできることをするのみ、靴も足も覆ったところで「さあ、すべての思いは西瓜ころがしの西瓜にぶつけてやるのだ」とイソセ川の渡し守がまたも先陣をきって歩き出すと、皆も負けじとぐいぐい進みはじめ、クロガラの木の肌がうねうねしはじめたのに気付いたのは和尚と私くらいであったが、クロガラの木の実が食べごろであることなど今は意味のないことであるし、うねうね具合から察するに野良うずみが木の実を食べつくしてしまうのにもあと5日はかかることであろう、ならば急いでかごめの大将に知らせる必要もない、大将は大将で今はねんごろもちをこさえるのに忙しいはずだから余計な話を吹きこむのもかえってまずい、ゆえに私も和尚も臆することなく川魚の急坂へ足をはやめることができるのであった。