『この西瓜ころがし野郎』(11)

 全身を西瓜で紅く染めた店主の妻がやみくもに鉈を振り回すものだから、店の中は西瓜以外の赤い色まで混じって大変な騒ぎで、この期に乗じて気に入らぬ者の頭と西瓜を見紛う振りをする者も続出、悲鳴と歓声も混ざり合うなか、基本的には性善説が信じられていた島だったものだから、だんだんと歓声のほうが大きくなり、零れた酒と西瓜の混ざった香りに各々が西瓜以上に弾んだ気分になった頃には、すっかりラカンバの首都も西瓜くさくなっており、島と違って酒を好む者もいない都市だったせいで、純度100%の西瓜くささ、これには西瓜嫌いで有名なラカンバ一の正義語りもたまったものではないと急いで小舟を出し、しかし少女が怨みを込めて蹴り飛ばした西瓜が小舟に勢いよく、ぼふうんと音を立てて落っこちると、小舟はばいんばいんと大きく揺れて正義語りを振り落とし、西瓜を喰おうとやってきた大鮫がばくんとでかい口を閉じると、そこにはちょうど正義語りの頭だったものだから、ラカンバの首都の者は西瓜くさいのも忘れて大いに喜び、ろくでもないものを口にしてしまった大鮫にもすぐに喰い易く割った西瓜が与えられて一件落着、残りの身体は小魚たちが味わいながらついばんでいたが、ぼしゃんぼしゃんとひっきりなしに西瓜が落ちてくるものだから、正義語りの身体は細かく千切れ、あちこちで小魚の群れを寄せ付け、いつの間にか西瓜の欠片のなかにも泳ぎだすものが現れはじめ、やがて新種のうみうしやらひとでとなり島の浜辺を潤うことになるのだが、それはさすがに我々の語るべき話ではなく、元気に跳ね回る西瓜たちの行方を可能な限り見届けるべきだろう。