『この西瓜ころがし野郎』(12)

 西瓜ころがしはかたくなに西瓜は我が国だけの作物だと言い張るのだが、それはもちろん西瓜ころがしの無知ゆえに成せる業であり、リプトニアやラカンバの者たちは、皆それぞれの言語で「この西瓜野郎、この西瓜野郎」と跳ね交う西瓜ともみあいへしあいしていたわけで、仮に西瓜ころがしの言う通り、西瓜が我が国だけの作物だったとしても、私が三つ目の西瓜の行方を想視するころには、リプトニアやラカンバでも西瓜が当たり前の存在となっていたであろうことは想像に難くなく、それゆえに西瓜をそれぞれの言葉で当たり前のように知っていたリプトニアやラカンバの者たちは、一生分の西瓜を意味する言語を口にし、また来世分を合わせてもなお溢れるほどの西瓜汁を浴びていたのだから、ただでさえどこの土地でも雑に扱われることで有名な西瓜への意識はさらに雑になり、車を降りる時に足元に西瓜がおれば臆することなく踏み潰し、窓からぽーんと西瓜が飛び降りれば狙いを定めて棒かなにかで振り飛ばし、リプトニアの育ちの悪い街などでは暇つぶしに便器に大玉の西瓜を投げこんでみる者まで現れ、頭部が便器にぶちまけられたような様を晒し、あわてて水で流そうとすれば下水道をさかのぼってやってきた別の西瓜とごっつんこ、あちこちの配管の内で西瓜たちがごった返し、こうしていると西瓜同士もまた知らぬうちに繁殖してしまうものだから配管とて堪えきれずばつんと弾け飛んでしまうこともしばしば、しかしながら、あまりにも増えた西瓜たちによって中身のほとんどは西瓜汁と化していて、二百年前のように配管の破裂が相次いだところで疫病の類が街を覆うなんてことにはならなかったのが幸いだ。