『この西瓜ころがし野郎』(18)

 西瓜の血汁にまみれて転がりながらも悪態を喚き続ける西瓜ころがしの姿を最初に目にした余所の土地の者は、西瓜知りたがりのスプーキーの四散した身体から7度目の復活を遂げた小鬼のような化け物を背負ったグランゼニアという国の詩人で、詩人にありがちな放浪癖ゆえに小鬼と出会ったのはグランゼニアの国から遠く離れた大麦の群生する丘の上であったが、その時すでに詩人は西瓜たちの声をたくさん拾い集めた後であり、大麦のなかを西瓜ころがしの姿を求めてさまよう小鬼を見てすぐに「ああ、これは哀れな西瓜知りたがりのスプーキーの四散した身体のなれの果てなのだな」と理解したので、詩人と小鬼の間には余計な会話は生じず、小鬼も詩人の姿を見てすぐに背中に飛び乗り、その後は放浪癖の詩人には生まれて初めてのことであったが、わき目もふらずにこの土地を目指して一直線、小鬼は行く先々で手の届く範囲の木の実を摘んでは詩人に与え、おかげで詩人は一人旅の時よりも大いに健康で、なおかつ味も良く栄養価の高い木の実についての知識も豊富に蓄え、数年後には小鬼の手を借りて世界最大の木の実の図鑑を出版することになるのだが、もとより詩人である彼は売り上げの全てを西瓜知りたがりのスプーキーの供養のために使い、その後は小鬼の摘む木の実だけを口にしながら、飛び跳ねていた西瓜たちでさえ踏むことのなかった辺境の土地までをも彷徨い尽くし、西瓜たちの流した血に敬意を表した素晴らしい詩の数々を土地ごとの巨石に彫り続けることに生涯を費やし、もちろん西瓜ころがしへの敬意などは微塵もなく、後世における彼の詩への評価に傷をつけるような行いなど一切なかったことは、この土地で詩人の姿をしかと目にした私が保証しよう。