『この西瓜ころがし野郎』(19)

 元々用意してあった西瓜や飛び跳ねまわるうちに運悪くこの土地へ舞い戻って来てしまった西瓜も含め、サトリの妻と少女は西瓜たちの事情などおかまいなしに蹴り飛ばし続けており、その姿はなにか美しい舞のようで、思わず詩人が「舞い戻りの舞」と呟いたのに我々が同意したのも無理はなく、興奮したカケイのおやじまでも「舞い戻りの舞」に参加しようとしたのを私が止めなければ、この美しき「舞い戻りの舞」もたちまち消え失せてしまっていたことであろうが、咄嗟の私の行動は正しかったようで、カケイのおやじもすぐに私や詩人の真意に気づいてくれ、もしも、気づかずに「舞い戻りの舞」を消し失せてしまうようなことがあったら、カケイのおやじは西瓜ころがしと同様に西瓜汁にまみれていたことであろうが、カケイのおやじはそこまでの愚か者ではなく、すぐに詩人が「我々はこの舞を取り囲んで守るのです」と言い、見惚れていた者もはっとして輪を作り、小鬼はせわしなく潰れてしまった西瓜の欠片を西瓜ころがしの方角へ放り投げ、その細い腕からは予想もつかないほどに遠く遠く西瓜の欠片は飛んでゆき、西瓜ころがしは西瓜たちの憎しみを余すところなく全身で受け止めることとなり、世界中の西瓜たちから歓声があがり、地軸もわずかに好転し、リプトニアの次期大統領の良心をくすぐることまで叶い、もしもこれが叶わなければ詩人の詩の数々が巨石に刻まれることもなく、78年後の大移動に人類が取り残され、半数近くは星が滅ぶその日まで海岸で巨石の代わりの大人形と化して世界を見守るはめになったことであろうが、私もカケイのおやじも詩人の手助けができただけで満足であり、たとえ巨石に我々の名が刻まれなかったところで西瓜ころがしのような真似をするはずはなかったのである。