嘘つきには知性が必要だが、愚かであるには何もいらない

 19世紀の終わりから20世紀のはじめ頃まで、アメリカ・コネチカット州の田舎町ウィンステッドは、おそらく世界で一、二を争うほどの愉快な町であった。なにしろ、毛むくじゃらの野性児にしゃべる犬、焼きりんごのなる木、頭に蜘蛛の絵を描いた男などなど、奇々怪々な生き物や風景で溢れていたのだ。

 といっても、それは新聞記事の中だけの話で、これらはすべてウィンステッドの地方紙の記者、ルー・ストーンによる捏造だった。しかし、彼は「ウィンステッドの大嘘つき」の愛称で親しまれ、おかげで町は地図に記載されるようになり、ストーンの死後、町の入口には、その旨を記した標識まで立てられたという。ホラ話をホラ話とわかって楽しむことが世界を豊かにし得ることの見本のような人物である。文学や漫画、映画といった創作物に愛すべき嘘つきたちが多く登場するのもそれゆえだろう。私も自分の見る目の確かさを誇示するためだけの“本物”とやらより、胡散臭くも愉快な“偽物”のほうが好きだ。

 私がルー・ストーンを知ったのは、デヴィッド・バーンの監督作『トゥルー・ストーリー』に関する批評を探していた時に見つけたTHE MADISONSのサイト「悲惨な世界」(https://www.madisons.jp/mondo/m_08/m08_1.html)だったが、そこで紹介されていたもう一人の嘘つき、ベルナール・マクファデンの最期は、“愛すべき嘘つき”であったことを伝えるストーンのものとは対照的なものである。

 大衆紙に悪辣な捏造写真を載せ続けて悪名を轟かせた(ストーンと違って「悪名」と表現して良いものだと思う)マクファデンは、元々はエセ医療家で極端な自然療法の提唱者だったらしい。なにしろ彼は黄疸の症状が出ても断食療法を貫き、3日目に死亡しているのである。捏造写真に関しても、「この世では眼に見えたものが、すなわち真実なのだ。だから私の報道はすべて真実なのだ」と言ってのけたようだが、ようするにマクファデンは“嘘つき”ではなく“愚か”だったのである。ストーンとマクファデンの生涯を比較してみると、どうも嘘より無知のほうが罪は重いように感じる。

 考えてみれば、嘘をつかずに居続けることよりも、無知を克服しようと努力し続けることのほうが困難な気がする。言いたいことを言っているだけの人間はたしかに正直ではあるのだろう。しかし、より苦労したほうが褒められやすい世界なのに、なんだか嘘つきのほうが非難されがちのようにも思える。無知であることの罪の重さを認めたくないだけかもしれないけれど。

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