新百合ヶ丘の青いバカ

 10年以上も前のある日、神奈川県川崎市新百合ヶ丘駅周辺を爆弾の仕掛け場所を探すかのような目でうろつく見るからに怪しげな者がいた。その者は現在、美月雨竜などという本人のスペックとはまるで似つかわしくない綺麗な名を名乗り、本人のスペックそのままの一文にもならぬ文章を週に二度ほど広大なネットの荒野の片隅に書き散らしているのだが、その日その者が新百合ヶ丘駅周辺をうろいていた理由は、翌日に控えた日本映画学校(現・日本映画大学)の入学試験を前に、試験会場でもある校舎の周辺状況を把握しておこうと企んでいたからである。なにかしらのトラブルに巻き込まれた場合でも、逃走経路をあらかじめ確保しておけば、絶対安心とはいかずとも心強い。

 幸い、その怪しげな人物がトラブルに巻き込まれることはなかった。そして、何かの間違いで映画学校の入学試験にも合格してしまった。それゆえ、しばらくして最低3年間は住むことになるであろう新百合ヶ丘駅周辺に住処を探すために再訪し、そこそこ安く交番が近いことが取り柄の住処を見つけ、結果的に三年どころか6年近く慣れない暑さと湿気をそこで凌ぐことになるのだが、やはり慣れないことを慣れない場所で6年も続けるなど身体に良くなく、映画学校での生活も最悪とまではいかないが確実に精神を蝕み、今なお後遺症に悩む日々を送っているのだから、受験しようと考えたこと自体がトラブルだったとも言える。人生の逃走経路もあらかじめ確保しておけばまだ救いがあったのだろうが、目の前の危険に怯えすぎて常に背後に張り付いている大きな脅威のことを失念していたのである。

 今さらどうすることもできず、考えれば考えるほど精神状態は悪化していくので、静養を余儀なくされた理由についてあれこれ詳細に思い返すことは控えるが、当時の記憶を振り返った時に少し気になるのは、休みの日に外出した際、同期生とばったり出くわすということが滅多になかったことである。数回、私なんぞを誘ってくれる奇特な同期生と共に観劇なんかに出かけたことはあったものの、映画を学ぶ者なら足を運んでしかるべき書店やレコード店に一人で訪れた時、誰かを見かけたことがほぼない。交流のある人間が少なく、関わりのない同期生の顔などほとんど覚えていなかったせいもあるが、それにしたって見覚えのある顔を目撃することがもっとあっても良さそうなものだが、いったいみんな休日はどこで何をしていたのだろう。そりゃあ、タワーレコードに行っても、ただでさえ人の少ないアンビエントアヴァンギャルドのコーナーに直行してしまう私にも問題はあるのだろうが、直行するとは言っても別のフロアを横切ったりはするのだから、誰かが視界の端に紛れ込んでも不思議ではないはずだ。ひょっとしたら、他の学生に悪影響を与えると判断され、私の知らぬところで「休日に奴とは関わるな」という戒厳令が敷かれ、学校が影で運営する秘密組織「へいま親衛隊」が私の行動を監視し、休日の動向がくまなく全学生にメールで伝えられていたのかもしれない。最初の撮影実習の時点で人止めや撮影交渉にうんざりし、「なにゆえ学生の実習映画のために通行人の自由を奪わなければならぬのか!」「ならば実写よりアニメのほうが良い。少なくとも通行人の迷惑になることがない!」などと強く主張していたから、学校側から反体制勢力と判断されていても不思議はない。

 生まれ故郷の北海道に戻ってからは、さしもの「へいま親衛隊」もそう簡単には手を出すことができないようで、なんとか静養の日々を送ることができている。しかし、奴らはこちらの住所等を把握しているはずなので油断はできない。今のうちに新たな逃走経路を確保しておいたほうが良いかもしれない。