僕の見た平成くんは病院のTVの中

 昭和から平成に替わる瞬間は病弱なお子様だったがゆえに入院中だった私であるが、今のところの健康状態であれば、令和へと替わる瞬間を病院のベッドで見知らぬ天井を眺める必要はなさそうである。しかし、大きな環境の変化や世の中が祭りごとのように賑やかになっていく雰囲気というものは、少しずつ、しかし確実に私の精神を蝕んでいるようで、季節柄というだけではなさそうな微細な体調不良がちらちらと顔を出しはじめてもいる。幼稚園や学校よりは病院のほうが居心地が良かったが、さすがに自室より病院のほうが居心地が良いと思ったことはないので、せめてベッドに横になっているのだとしても、自室で見知った天井を眺めるだけにしておきたい。

 私が二十歳になった時、同じ病院に祖父も入院することになったのだが、御見舞いに行った際は各ベッドに小さなテレビが備え付けられていたのだけれど、私が病弱なお子様だった頃はベッドどころか病室にもテレビは備わっておらず、故・小渕元首相が「平成」の文字を掲げた有名な映像も、おそらく初めて見たのはロビーかどこかのテレビだったように思う。もっとも、3歳の誕生日すら迎えていない頃の話なので、さすがにはっきりした記憶があるわけではない。2歳児に元号の話をする物好きな医師や看護師もいなかったはずである(聴診器の片方のイヤピースを紛失した若い先生のことは覚えている。O先生、あの日のイヤピースは見つかりましたか?)。私が気付いたときには、すでに世間は「平成」に慣れはじめていたことだろう。

 時代が平成に替わって一年が経っても、私はまだ病弱なお子様のままで入退院を繰り返し、他の同級生たちよりも幼稚園への入園が遅れた。まだ見ぬ同級生たちより、同じ病室で出会った子供たちや、連日のように報道されていたコンスタンチン君(1990年8月にサハリンの自宅で大火傷を負い、札幌医科大学附属病院に搬送されて一命をとりとめた当時3歳の幼児)のほうが近い存在に感じられた。まあ、後の同級生たちと良い関係が築けたかと言えば、あまりそうとは言えない気もするので、そのあたりの感覚は当時から変わっていないのかもしれない。しかし、現在のコンスタンチン君がどうやら妻子と共に元気に暮らしているのに対し、当時ほど病弱ではなくなったものの、今度は精神面に大きな問題を抱えて静養状態にある私が元気に令和を迎えられるのかどうかは甚だ疑わしい。

平成くん、さようなら

平成くん、さようなら

 
僕の見たビートルズはTVの中

僕の見たビートルズはTVの中