「自然は一巻の書物であり、その著者は神である」(ウィリアム・ハーヴェイ)

 先日、目覚めてすぐ耳に飛び込んできたノートルダム大聖堂の火災というニュース。日本で平成という時代が終わろうとしている、そんな時のまさかの火災、かつてパリを燃やせと命令したヒトラーだって困惑するかもしれないなどと考えていると、今度は夕張市の石炭博物館でも火災(元夕張市長の鈴木直道氏が次期北海道知事に決まったばかりなのに、なんとも皮肉なものである)。どうも運命の神様は次の時代までに処分すべきものの選択をお間違えになっているのではないかという気もしてくる。しかしながら、神の御心は計り知れないものである。

 私がノートルダム大聖堂を初めて知ったのは、おそらく4歳くらいの頃に観た『カメラが捉えた決定的瞬間』においてのことで、聖堂の先端部分に熱気球が引っかかり宙吊り状態になる映像が紹介されていた。幸い、乗員は無事に救出され、聖堂にも目立った破損はなかったのだけれど、歴史ある貴重な建造物の近くで熱気球を飛ばすというのは、勝手なイメージにはなるが、なんだかフランスらしくないと感じる。熱気球が飛んでいた理由については触れられていなかったので、詳しいことは分からないけれども。

もっとも、番組の情報を信用するならば(当時の衝撃映像特番における事件・事故の発生日時や場所の情報はあまり正確ではなかった)、この事故が起きたのは1986年の7月4日らしいので、まだノートルダム大聖堂世界遺産には登録されていなかった。ノートルダム大聖堂と周辺の文化遺産世界遺産に登録されたのは1991年のことなので、私の観た特番の放送時期でも、まだ登録されるかどうかの瀬戸際くらいだったかもしれない(ちなみに、1988年に発売されたビデオ作品『ザ・ショックスⅣ 禁断の最終楽章』にも事故の映像が収録されている)。とはいえ、随分と大胆な催しだったことには変わりないだろう。

 大聖堂には既に再建のための寄付金が多く集まっているようだし、大聖堂と比べればどうしても規模は小さくなってしまうだろうが(大聖堂のほうは既に「もう一個建てるのか」なんて声があがるほど寄付金が集まっているとか)、石炭博物館でも修復を願う声はあがってくるだろう。しかし、どこまで元の形に戻すことができるのだろう。もしも技術的に修復が不可能であったならば、せっかく集まった寄付金もかえって切なくなってしまう。そうならないことをせめて祈る。祈ったところで事が良い方向へ向かうわけではないこともわかっているけれど、祈らずにおれないという気持ちもまたどうしようもないものである。

パリは燃えているか [DVD]

パリは燃えているか [DVD]