『そうして四宮先生は襟裳で喪服を』

 小学4年の10月のある日、担任教師が一時的に行方不明になったことがある。四宮先生(仮名)の名誉のために詳細は伏せるけれども、4日後には何事もなかったかのように……とはいかないものの、少なくとも児童たちの心に大きなトラウマが刻まれるようなことはなく、四宮先生(あくまで仮名)は教壇に戻った。

 私たちが学年を修了する際も四宮先生(繰り返すが仮名)は一緒に集合写真に納まったし、小学校を卒業する際は担任ではなかったものの、まだ他校に移動もしておらず、教職員との集合写真にしっかり納まっている。後に何かやらかしてさえいなければ、きっと今もどこかの学校の教壇に立っていることだろう。詳細を伏せてはいるものの、行方不明となった理由を知っても、私はそれだけで四宮先生が教師失格だとは思わなかったし、色々と騒がれはしたものの、上記の通り私が小学校を卒業するまで(さらに詳しく言えば、専門学校生時代に帰省した際、地元の新聞のとある記事で元気に教員を続けていることが確認できた)教員を続けているわけだから、別の何事かをやらかしていない限り、四宮先生が今も教壇に立っていたところで、大きな非難の声はあがらないだろう。

 四宮先生行方不明事件を経験して私が知ったのは、どうやら担任教師が謎の失踪を遂げた場合、2~3日は児童に詳しい事情は伏せられたまま、教頭あたりが代わりに授業を行うらしいということである。全校児童30名程度の田舎小学校だからこその対応だったのかもしれないが、四宮先生が行方不明だった間は教頭の神原先生(こちらも仮名)が私たちの授業を受け持ってくれた(神原先生のほうが授業の質は高かったが、四宮先生はまだ若かったので、たぶん経験の差なのだろうと当時の我々は思っておくことにした)。

 日本映画学校の脚本ゼミを卒業したものの、しばらくシナリオというものは書いていなかったので、リハビリをかねて四宮先生行方不明事件をもとにした話を構想中なのだけれど、同級生のうちの一人はそんな事件があった事すらほぼ忘れている始末で、自分以外のクラスメイトたちがどう感じていたのかが今一つ掴めない。しかし、さすがに現在の四宮先生の消息を追う気にもなれず、「まあ、あくまでリハビリだし」と、軽く楽しみながらといった感じで書き始めてみようと思う。