最後の考古学者は過ぎ去りし21世紀の夢を見るか

 テレビで幼稚園か小学1年生くらいの男の子が「将来の夢はバナナ屋さん」と言っていたのだけれど、「一番好きな食べ物は?」という質問には「いちご」と答えていた。一番好きな食べ物を売ってしまうのが嫌だったのか、はたまた「いちご屋さん」だと商品に手をつけてしまって商売にならないと考えたのか。詳しいことはわからないけれども、将来の彼がバナナ専門の売り手というあまりポピュラーとは思えない夢を実現させていたら面白いので、何をどう頑張れば良いのかは知らないけれど健闘してほしいと思う。

 さて、自分の幼稚園や小学校の卒園・卒業文集を引っ張り出して読み返してみたり、テレビや雑誌等での調査なんかに目を通してみると、どうも「将来の夢」を訊かれると大半の子供が「なりたい職業」を答えているようである。「海外に住む」や「かっこいい車に乗る」といったタイプの回答さえ稀な回答で、実現性が高かろうと低かろうと、基本的には職業を答える子供が多い。その職業で成し遂げたい具体的な内容を答えることも少ない。これがもし日本だけの傾向なのだとすれば、やはりと言うべきなのか「労働」に囚われ過ぎな気もする。

 もっとも、実際に抱いている夢がちょっと変わったものだったとしても、なんとなく空気を読んで当たり障りのないことを書いてしまう場合もある。「人類の最後の生き残りになって人間のいない世界を眺める」というのは、幼稚園の時点で私が抱いていた病んだ夢であるが、ただでさえ周囲に馴染んでいるとは言い難い、病院のベッドが親友の貧弱幼児がこんなことを公言してしまっては、将来を不安視されて親友に縛り付けられ、なんらかの人格矯正プログラムを施されるような気もした。結果、私の卒園アルバムには「しょうらいのゆめ:こうこがくしゃ(考古学者)」と記されている。今のところ、どちらの夢も叶う気配はない。