私が憎んだチームはだいたい敗けている

「ここはサッカー部が有名な高校なのに、どうしてこのくそ暑いなか、たいして強くもない野球部のために全校応援などせねばならんのか。この国の野球贔屓は目に余る。連中をのさばらせていい気にさせておくと、この国はどんどん悲惨な方向へ向かうはずだ」

「え? じゃあ、美月はサッカー部の応援なら喜んで来てくれるのか?」

「いや、行かないけど」

 

 サッカー部所属でクラスの中心的な存在でもあった石原氏(仮名)と私の間で交わされた会話である。無理矢理駆り出された野球部の全校応援の最中、日本の野球界全体に対して呪いを送ることに集中するあまり、熱心に応援を強要していた体育教師すら近寄りがたいほどの憎悪を全身から漂わせていたらしい私を気にかけてか、石原氏が話しかけてきた時のことだ。

 高校での私は、今から思えば既に精神面の諸事情が影響していたのかもしれないが、周囲との交流を極力避けて日々をやり過ごしていたのだが、そんな近年で言うところの陰キャ代表格のような私に話しかける数少ないクラスメイトが石原氏であった。どうやら、あまりに自ら孤立の道に進もうとする私を見かねて、担任教師が石原氏に「あいつを気にかけてやっておいてくれ」と頼んでいたらしく、私は面倒な奴を押し付けられてしまった石原氏を気の毒に思いつつも、望んで話しかけてきているわけではないのだから、せいぜい一学期だけのことだろうと考えていた。

 しかし、何を面白く感じたのかは知らないが、石原氏は一年を通して定期的に私に話しかけ続け、どういうわけかクラスが別れてからの2学年、3学年でも顔が合えばそれまで通りに話しかけてきた。なかなか律儀な人である。もっとも、彼は彼で普通にもっと良好な関係性を持っていた仲間たちがいたから、今となっては私との会話を覚えているかどうかは怪しい。

 さて、そんな石原氏が活躍していたサッカー部の応援さえ拒絶してみせた私だが、それはスポーツ全般に対して良い印象を持っていなかったせいもあるが、なにより当時のサッカー部の顧問教師が嫌いだった為でもある。私は運動部どころか部活動自体を強い意志を持って拒絶していたし、その顧問教師が担当する授業にも当たったことがないので、さほど深く関わったことはないのだが、全校集会での言動や生徒会誌等に記された文章がことごとく拒絶反応を誘発するものだった。石原氏に怨みはないが、この顧問教師が評価されるようなことは我慢ならなかったので、どうしてもサッカー部を応援する気にもならなかった。どうやらこの顧問に批判的だったのはサッカー部員のなかにも多くいたらしく、そのせいか、歴史的には前述の通り野球部などより大いに活躍してきたサッカー部が、この顧問が力を持ってからは思ったような成績を上げられていなかったように思える(詳しく戦歴を調べたわけではないが)。実際、石原氏も私の嫌悪感に同調してくれた。

 野球部の顧問に関しては、誰だったのかさえ知らない。いずれにせよ、野球部支持派の熱心な応援も虚しく、我が校の野球部は3年間通して惨敗していたようだ。