あの香りが人体にどんな影響があるか実はわかっていない、なんて噂も聞いたことがある。

 地元の某スーパーマーケットのトイレは何年も前からやけに芳香剤の匂いが強い。咽るような強烈さというわけでもないのだけれど、やたらと飛距離のある匂いで、入口が目に入らない距離でも嗅覚だけがトイレの位置を察知してしまう。すぐ近くには地元で有名な菓子屋が陣取っているのだが、商品に芳香剤の匂いがついてしまうのではないかと心配になったりする。

 そういえば、通っていた保育園は全体的に公衆トイレでよく香ってくるあの芳香剤の匂いをうっすらと漂わせていて、園児の頃はあまり気にせず暮らしていたが、今の感覚だと、あの場で半日近く生活するのは抵抗を感じるだろう。食事だってするわけだし。

 もっとも、保育園で食事することには園児の頃から抵抗があって、それは同世代(つまり同じ園児たち)の衛生観念を信用できなかったためで、せめて食事の前に自分も含めて無菌室に入る前のように全身消毒させてもらえないかと考えていた。DDTをかけられる終戦直後の子供たちの映像を見た時、現在でも似たような対策は必要なのじゃないかしらなどと思ったが、なんとなく空気を読んで口に出すことはやめておいた。

 周囲の人間や周辺環境の衛生観念を信用できなかったのは園児時代だけでなく、その後の義務教育期間から現在に至るまであまり変化はない。世界でも特に綺麗好きと言われていたはずの日本人が書道と食事を同じ教室で行うのが理解できないし、理科室とあまり変わらない匂いのする家庭科室での調理実習も苦痛でしかない。高校時代は断固として校舎内での飲食を拒絶し、交流のある人間が極端に少なかったせいもあるが、当時の同級生たちで私が何かを口にしている姿を見た者はほとんどいないはずである(修学旅行では、どうしても人前で食事せざるを得ない場面が二度ほどあり、その際に近くの者に「何か食べてるの初めて見た」と幻の生きものの生態でも目撃したかのようなことを言われた)。

 ひょっとしたら、義務教育時代の食事において、日本人はある種の「諦め」を学んだり、一時期話題にもなった「鈍感力」なんてものを養ったりするのかもしれない。「諦める力」は必要だと思うが、そんな場面で発揮せずとも良いだろうに。