ちいさい秋を見つける気力があるのは子供の頃だけ

 「○○の秋」と呼ばれるものが多くあるのは、暑くもなく寒くもないという気候のおかげで食欲も増すし、身体を動かすのにも頭を働かせるのにも丁度良いからなのだろうが、あまりに暑さに弱い人間の場合は、夏の暑さの疲れが抜けず、ようやく身体が調子を取り戻した頃には既に秋も遠くに背中が見えるだけ、なんてことが通例になってしまう。心地良く活動できる期間など、ごくわずかしか存在しない。

 心も身体も弱り切った私などとは正反対に雑草たちはたくましく、特に今年は成長に適した気候だったのか、近隣の畑を眺めると、いつも丁寧な仕事ぶりが反映されている人の畑でさえ雑草たちの姿が目立ち、毎度毎度はたして真剣に仕事に取り組む気があるのだろうかと思わされるような畑などは、ただの手入れされていない広大な空き地のような有様で、作物の姿を探し出すことすら困難な畑もある。あの荒れ地のような畑の持主が専業農家だと考えると、他人事ながら心配になってくる。副業や趣味の延長であるなら救いもあるだろうが、しかし、趣味にしては広すぎる畑なので、せめてなにか別の収入源があるのだと思いたい。どんな人の所有する畑なのかは知らないけれど。

 幸い、知り合いの畑でそこまでの惨状の場所はないようで、例年通り、ジャガイモのお裾分けをいただくこともできた。「田舎は近所の誰かからのお裾分けが勝手に玄関に置かれていて、数日以内に出所を突き止めてお礼をしないと村八分になる」なんて話がツイッターに投稿されていたのを目にしたことがあるけれど、この辺りでそんな話は聞いたことがなく、作物を不法放置していくような不届き者もいない(トラックからこぼれ落ちた作物が道路に転がっていることはよくある)。住居が寄り集まっているようなタイプの田舎ではないからかもしれないが、静養するには適している。クマとの遭遇の危険を冒してまで秋の気配を求めて周辺を練り歩く気力もないので、いただいたジャガイモに火を通したりして過ごす。