『空にかたつむりを見たかい?』 第4回

 かたつむりは、わずかな土地を這いまわるだけで一生を終える。土佐先生から借りた吉村昭の『羆嵐』に書いてあったことだ。この地に永住することを妙に誇りに思っている人たちは、この本を読んだわけでもないのに、似たような考えを持っているらしい。いや、かたつむりの生態的には、たしかに正しいのかもしれないが、僕はそんな考えには反対したい。

 知悦部地区には、かたつむりが多い。元々、湿地帯であったことが影響しているのかもしれないけれど、詳しい理由は分からない。

 多いといっても、道路を走る車が、かたつむりに滑って事故を起こしてしまうような大量発生状態ではない。知悦部地区で自動車事故が起こるとすれば、原因は酒好きのおっちゃんたちの酔っぱらい運転か、もしくは車好きな青年部の連中のスピードの出し過ぎだろう。

 実際、十年ほど前に嶋田さんちの秀行さんが、成人祝いに親から車を買ってもらったその日の夜中、調子に乗ってぶっ飛ばした挙げ句、畑に突っ込んで六回転の大クラッシュを起こし、車は大破。当然、大怪我を負い、今でもその後遺症で右足をひきずっている。

「買ってもらってすぐに事故って、他に誰も巻き込まなかったんだから、あいつにしては珍しく褒めてやってもいい。そのまま乗り続けてたら、騒音垂れ流したり、誰か巻き添えにしたり、えらいことになってたんじゃないの」

 秀行さんの事故に対する塔子さんのコメントは辛辣だった。中学時代の同級生だったらしいけれど、この発言から、塔子さんが秀行さんをどんな風に思っているのか、だいたい察しがつく。だが、そんな秀行さんの悲劇を知ってなお、何人かの車好きが、不愉快なエンジン音をたまに撒き散らしている。

 かたつむりの話だった。とにかく、衝撃映像などで紹介される生き物の大量発生ほどではないけれど、この知悦部地区では、頻繁にかたつむりを目にする。大きいもので、だいたい二、三センチほど。まれに、もっと巨大なやつもいて、遭遇すると、さすがにどきっとする。小さいものなら、雨が降ると窓に一匹くらいは張り付いているのが普通で、目にしない時の方が珍しい。

 ただし、観光名所になるほどの多さではない。もっとも、かたつむりがもっとたくさん、それこそ交通事故を引き起こしてしまうほどにうじゃうじゃと生息していたからといって、観光名所にはならない気もする。むしろ、敬遠されるだろう。

 いずれにしても、他の場所よりは目につくというだけで、都会の人からすれば、雨の日にちょっと目立つだけのかたつむりよりも、牧場で草を食む牛や馬の方が魅力的に映るだろう。ただし、この地区の酪農家の戸数は、畑作農家以上に減少傾向にあり、もう少し車を走らせれば、実際に観光名所にもなっている大きな牧場もあり、わざわざここへ牛や馬を見に来る人はいない。

 けれど、長年この知悦部に住む人は、そんなかたつむりたちに愛着を持っている。作物によっては害虫でもあるのだけれど、見た目のせいか、なめくじほど嫌われにくいかたつむりは、一種の地区のシンボルにもなっている。「わずかな土地を這いまわるだけで一生を終える」という話も、この土地からほぼ離れることなく生きる人からすれば、運命共同体のようなシンパシーを感じるのかもしれない。

 そういえば、ベルリンの壁とウサギにまつわるドキュメンタリーをちょっと前に見た。二つの壁の間の敷地に取り残されたものの、外敵からも隔絶されたため、大繁殖したウサギたち。壁を作った人間たちは、それを面白がり、あるいは誇りに思った。しかし、一部のウサギたちが穴を掘り、その楽園から脱走していることが知られると、途端にウサギは粛清の対象となった。そんな寓話のような現実。もし、かたつむりが「わずかな土地を這いまわるだけで一生を終える」わけではないと言われたら、あの人たちは、どんな反応をするのだろう。