『空にかたつむりを見たかい?』 第9回

「そういえば、かたつむりって蝸牛って書くよね」

 マリサが正面にいる僕を睨むようにして言う。本当に睨んでいるのかどうかはわからないけれど、マリサの目つきは大抵こんな感じだ。

「アユムの言ってる空飛ぶかたつむりと、大竹さんの見た手乗り牛も何か関係あるの?」

「見間違いかもしれないって点では、似たようなものかもしれない」

 僕は、スープの中のジャガイモをスプーンでいじりながら答えた。

 母さんから「誰かに話したら駄目」と言われていた空飛ぶかたつむりの謎だけれど、ダイチとマリサには既に話してある。

 母さんの性格から考えて「横取りされたら困る」というのが、まるきりウソだったわけではないだろうけれど、基本的には「誰かに話してバカにされたら困る」という意味だったのだろう。たしかに、保育園や小学校低学年くらいの時期に、真面目な顔で「かたつむりは飛ぶんだよ」なんて言ったら、バカにされていじめの対象になる可能性は大いにある。それこそ、上野なんかにそんな話をすれば、「ガキくさい」とバカにされるだろうし、正直言って反論もできない。中学二年にもなれば、仮に口を滑らせてしまったとしても「見間違いかもしれないけれど」と但し書きをつけて語る程度の知恵というか処世術は身につけている。処世術、万歳。

「手乗り牛の顔は成牛だったらしいよ」

「成牛か」

「成乳牛だったって」

「成乳牛ね……」

 乳牛の話をしているが、僕もマリサも牛乳には手をつけない。苦手なのだ。二人そろってダイチに押し付けているので、ダイチはいつも一つか二つの牛乳を家に持ち帰るハメになっている。飲み物のない給食は辛いだろうと言う人もいるけれど、唾液の分泌が良いのか、咀嚼能力が高いのか、さほど不便に感じたことはない。

「かたつむりは成蝸牛?」

 窓の外を見ながらダイチが言った。

「かたつむりの顔から年齢は判別できないけど、大きさ的には成蝸牛だったかな」

 成蝸牛という言葉が存在しているかどうかは知らない。「せいかぎゅう」と読むと、どこかのブランド牛肉のようにも思える。そんな余計なことを考えながら、スープの中のジャガイモを崩し続けているけれど、食は進まない。

「何? いらないなら、それもらうよ」

 そう言ってマリサは、こちらが許可を出す前にスープの皿を奪い、僕が既に口をつけたものであることを気にする様子もなく、空きかけていた自分の皿に中身を移した。不味そうに食べているわりに、僕なんかよりはるかに大食いなのだ。。

 もっとも、僕が小食なだけかもしれないので、ここで「その細い身体のどこに、それだけの量が入るのか」なんて手垢のついた言い回しを使う必要はない。僕は既におかずも半分ダイチに譲渡しているのだ。

「で、空飛ぶかたつむりは、いつ撮りにいくの?」

 カメラ担当であるダイチが訊いてくる。

「今年、雨が多くてね」

「何? 雨多いと駄目かい?」

「飛ぶの見た時は、晴れてたからね」

「でも、見たのって一回だけでしょ? 見間違いかもしれないわけだし」

「まあ、そうなんだけど。なんか……勘?」

「アテにならないねえ」

「アテのない話だからね」

 僕の答えに、ダイチはやる気なさそうにため息をつく。だが、ダイチがやる気なさげなのは、いつものことだ。「人一倍、睡魔に襲われやすいだけ」とも言っている。不機嫌顔美人のマリサと、やる気なし顔イケメンなダイチ。まあ、マリサの件はともかく、ダイチをイケメンだと言っているのは、僕が知る限り、僕だけなのだけれど。