『空にかたつむりを見たかい?』 第19回

「親父は、ダイチくらい眠そうであってくれたほうが助かるんだけどな」

 ビールを飲みながら勝也さんが言い、阪市さんが「うるせえよ、バカ野郎」と笑う。

 現在の桑窪家は、阪市さんと勝也さん、勝也さんの奥さんの綾乃さん、ダイチの母さんとダイチ、そこに僕や、今日はまだ帰ってきていないけれど、母さんが加われば七人になる。大家族というほどのものではないけれど、にぎやかで結構楽しい。まあ、僕と母さんは、桑窪家の一員というわけではないのだけれど。

「そこがいいんだよ。その、なんていうんだ、疑似家族っぽいところがな」

 僕たちと桑窪家の関係について、誰かから何か言われると、阪市さんは決まってそう答える。

アメリカのドラマとかでよくあるだろ? 友達とか隣人とかが、家族同然で同じ家に住んでたり、あがりこんでたりするの。『フルハウス』とか、そうだったろ? 家族を重視するっていうのは、家族じゃない者を軽視するってことだからな。その辺の閉鎖性が気に食わない。もっと、ゆるくてもいいじゃねえか」

 阪市さんは一度、地域の会合かなにかで、僕たちの件で大喧嘩したことがあるらしい。相手は堀田氏だったらしく、止めに入ったという勝也さんも「どさくさに紛れて、二、三発蹴っておいた」と言っていた。

「あの人、綾乃の悪口も言ってたからな」

 離婚した夫をどん底に突き落とすほどの強さを持った僕の母さんやダイチの母さん、そして見るからに体も心も強靭な阪市さんや勝也さんと違って、綾乃さんはいつも優しそうに微笑んでいるけれど、とても無口で滅多にしゃべらない。たまにしゃべっても、とても声がか細く、がやがやとした場所では、まず聞こえない。そんな綾乃さんのことを、堀田さんは陰で「ちょっと頭が弱いんじゃないか」と話していたらしい。勝也さんは、堀田氏の名前を聞くと、今でも殺意に近い感情が湧き上がってくるという。

「昔だったら、やりすぎて俺が刑務所に入ってたかもな」

 阪市さんはその昔、車から燃料を盗もうとしていた不良少年たちを捕まえてボコボコにし、逆に書類送検されてしまったことがある。勝也さんは、そんな父親のエピソードを語り、「血筋的に危ねえんだよなあ」と呟いていた。ちなみに、阪市さんの書類送検は、勝也さんたちが生まれる前の話で、当然、阪市さんがPTA会長になるのは、その後のことである。いかに当時の知悦部地区が、アナーキーな土地であったかを物語っている。なにせ、前科持ちがPTA会長に推薦されているのだから。

「まあ、俺がイライラしてると綾乃が悲しむからなあ。考えないようにしてるんだ」

 勝也さんは以前、そう僕に話してくれた。

「ああ、勝也。今度、また飛ぼうと思ってるんだが、いいか?」

「飛ぶって、また飛行機かよ?」

 阪市さんは、ウルトラライトプレーンを所有している。「ベサメ・ムーチョ号」と名付けられたその機体は、農薬散布に利用することもあったけれど、基本的には阪市さんの趣味のものだ。最初の頃は、わずかに飛んだかと思えばすぐ地面に戻り、そしてまた浮かび、そしてまた……というような動きを繰り返し、地域の人たちは、そのまま家に突っ込んでこないかと不安に思っていた。しばらくすると、もっと飛行機らしい姿で空を飛びまわりはじめ、今度は墜落してこないだろうかと不安に思った。

 実際、一度墜落したことがある。幸い、墜落場所は桑窪家の畑で、仕事をしている人もいなかった。本人の怪我もかすり傷程度で済んだ。

「親父、死ぬんなら先に言えよ。じーちゃんに伝えてほしいことがあるんだから」

「今、言えばいいじゃねえか」

「親父、俺が言ったことすぐに忘れるじゃねえか。死ぬ間際じゃないと、信用できねえ」

 事故当時の、阪市さんと勝也さんの会話だ。懲りない性格の阪市さんだったが、さすがに墜落という経験には懲りたのか、それ以来、飛行機はトラクターなどをしまう倉庫に吊るされたままだ。

「アユムたちに撮影してもらおうかと思ってな。なんなら、俺がカメラ借りて、空から撮影してやってもいいぞ」

「やめとけ。カメラがもったいない」

 阪市さんの体よりもカメラを心配するあたりが勝也さんらしい。

「でも、空撮は魅力的だよね」

 食事を終えたダイチが言った。

「だろ? 俺が手に持って飛ぶのが危ないっていうんなら、翼にカメラつけておいたらどうだ? あ、ドローンだったか? あれ買うか? 高いんだっけか?」

「父さんが操縦するなら、飛行機でもドローンでも、全部危ないの」

 洗い物をしながら、ダイチの母さんが言った。洗い物にうるさいダイチの母さんは、決して他の人に洗い物を任せない。

「でも、映像全体として、空撮は浮いてしまうかも」

 僕が食器をダイチの母さんに渡しながら言うと、阪市さんは「なるほど! 飛行機だけに浮くってか!」と言って笑った。どうやら、少し酔っているらしい。普段は、そういう駄洒落はあまり言わない。僕は酔っぱらいは嫌いだが、なぜか阪市さんにを不快に思うことはない。

「あ、アユム君。これ、ナスレディンに」

 ダイチの母さんが、残りものの米やおかずを乗せた皿を僕に渡した。