『空にかたつむりを見たかい?』 第26回

 帰宅部というのは、学校が用意できなかったものに価値を見出した者のことで、逆に言えば、何かの部活に入っている者は、「学校が用意したもので満足している奴」だとも言える。

 詭弁だと言われることもあるけれど、土佐先生や塔子さんは納得してくれた。

 僕たちは放送委員ではあるけれど、部活動には参加していない。僕たちの通う中学校には、体育系の部活しか存在していないので、入る部活なんかないのだ。土佐先生たちがいたころは、恐ろしいことに強制参加だった。顧問がまともそうだという理由で、土佐先生はサッカー部に、塔子さんはテニス部に入部したらしい。二人がサッカーやテニスをしている姿なんて想像できない。もっとも、二年になって教頭が替わると、急に強制参加ではなくなり、二人はさっさと退部してしまった。その当時の教頭に僕も感謝したい。

 放送委員としての活動は、行事の撮影や校内放送以外には基本的にないので、僕とダイチとマリサは見事なまでの帰宅部である。僕たちは学校から用意されたものでは満足できない。

「さてぃーすふぁーくしょーん!」

 ユイの僕たちに対する挨拶は、いつもこれだ。意味を分かっているのかどうかは知らない。

「ゆいっぴと違って、二人は元気ないねえ」

 畑の入り口に車を停め、窓から顔を出して塔子さんは言った。

「暑いですからね」

「そんな思いまでして、何を企んでいるのかな? まだお姉さんにも秘密かい?」

「自分でもなぜこんなことしてるのか分からなくなりかけてるので、余計に白状するのが恥ずかしくなりました」

「じゃあ、頑張って企みを続けてちょうだい。もっと恥ずかしくなったところで、黙ってられなくさせてあげるから」

 塔子さんは、また意地悪そうな笑顔で僕に言う。助手席には、似たような表情を浮かべたマリサが座っている。涼しい車内から出るつもりはないらしい。

「ああ、僕が企んでいるのは、妖怪イヌフラシの言いだしっぺ探しです」

「あ、言っちゃうんだ」

 僕の言葉に、ダイチは「だって、隠す必要性が分からないんだもの」と答えた。イヌフラシの件に関しては、これもまた、もっともな話である。塔子さんは、笑いながら「へえー」と頷いている。すると、素っ頓狂な声が響いた。

「さてぃーすふぁーくしょーん!」

「はいはい。さてぃーすふぁくしょーん」

 ユイの挨拶を僕は適当に流す。出演を依頼しておいて、こんな態度をとるのもどうかと思うけれど、こいつとまともに長時間関わるのは困難である。ダイチにいたっては、早々にカメラ位置などを決める仕事に集中して、サティスファクションなハイテンションガールの存在を意識から飛ばしている。

 このハイテンションガールの名前は、春日唯という。中学一年の時は、僕たち三人と同じクラスだったが、二年になって別のクラスになった。別のクラスと言っても、僕たちの中学校は、三学年ともにAとBの二つしかなく、今でも頻繁にまとわりついてくる。僕たちが言うのもなんだが、妙ちきりんな女である。

 愛嬌のある顔をしているので、入学してしばらくは、思いを寄せる男子もいたようなのだけれど、すぐにそのテンションについていけなくなり、現在ではマリサとは別の意味で浮いている。

 クラスが別になってから、教室内でどんな風にしているのか分からないけれど、この変わらない姿を見ると少々不安になる。嫌な思いをしているわけではないと思うけれど、繰り返すが、他人の気持ちなど推測はできても理解できるはずがない。

 さて、教室での評判は知らないが、ユイは僕たちが『謎の湖底人シタカルト~』を投稿した某動画サイトでは、結構な有名人である。「魔法少女ゆいっぴ」という、空飛ぶかたつむりの謎を追いかけることなんかよりもよっぽど恥ずかしい名前で、自作の歌を披露している。こんな名前なのにコスプレ的な格好はしていないのが、なんだか余計に恥ずかしい。天然の強度と言うべきか。出会った当初から地下アイドルのような香りがしていたけれど、今では本当にそのような存在なのだ。

 しかし、悔しいかな、ユイの歌はたしかに面白く、今日ここに来てもらったのも、その面白ソングを披露してもらうためだった。これも、より『トゥルー・ストーリー』に近づけるための演出だ。あの映画の冒頭でも、郊外の道を歌を口ずさみながら歩いてくる不思議な少女が登場する。

「ねえねえ、アユム君、アユム君。なに歌ったらいい? なにがいい? なにがいい?」

「君が歌いたいので構わないよ」

「ほんきーとんくうぃめーん!」

 別にユイは、ローリング・ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」を歌いたがっているわけではなく、これがユイの「肯定の言葉」なのだ。

 そもそも、ユイがストーンズを知っているのかどうかすら怪しい。いや、母さんや土佐先生からの英才教育を受けた僕たちはともかく、同世代がストーンズを知らなくても、なんら不思議ではないのだろう。不思議なのは、ストーンズのことをたいして知らなそうなのに、なぜかその曲名をオリジナルの挨拶にしてしまっているユイの方なのだ。

 そういえば、ミック・ジャガーにちなんだ名前のかたつむりがいたはずだ。たしか、フランク・ザッパも。新種の生物にミュージシャンの名前がつけられることは、結構多いらしい。雌雄同体で、時には単体で受精し、なおかつ鳥に喰われても排泄されて生き残る種類までいるというかたつむりに、ミックやザッパの名がつけられるのは、なんだかとても自然なことのように思える。