「じゃあ、ゆいっぴ。あっちから好きに自分の歌を歌いながら、ゆっくり歩いてきて。カメラ前まで来たら、そのままカメラを追い越して歩いていって。それだけでいいから」
「ほんきーとんくうぃめーん!」
そう叫んでユイは、中磯瀬の町に向かう道を走って行った。
「本当、変な奴だよねえ」
カメラを覗きながら、ダイチが呟いた。
「僕らにそんなこと言う資格はないだろうけど、それも許されそうなくらい変な子だね」
僕は走っていくユイの背を見て答えた。十五メートルほど先まで走って行ったユイは、そこで立ち止まり、「このへんでいーい?」と叫んでいる。
「あと五メートルくらい!」
「ほんきーとんくうぃめーん!」
五メートルほど下がり、再びユイが「このへーん?」と叫ぶ。僕は、両手で大きく○を作ってユイに見せた。
「ほんきーとんくうぃめーん!」
「じゃあ、いいよ。スタート!」
ユイは、僕の指示通り、ゆっくりと歩み寄って来た。
♪ばかものどもの若者論
逃げろ、二元論、人間論
そこのけ、追い越せ、おっとせい
おっとー星人、誰のせい
まこさま、まささま、さゆりさま
しいたけ先生たべられない
「はい、カット」
「いえーい!」
カットの声を聞いたユイは、なぜか僕に突進してきた。そのまま抱きつかれ、僕は転びかけた。
「はいはい。お疲れ様でした。もう帰っていいよ」
「えーっ、もう終わり? もっと遊びたーい」
「いや、遊んでるわけではないし……」
僕はユイを引きはがしながら、そう言った。
「これからなんかあるの? ねえねえ。なんかあるの? なんかあるなら、ついていっていい?」
何もない。強いて言えば、今日までに撮影した映像を見なおしてみようかと考えていたが、そこについて来られても困る。
「はいはい。ほら、ゆいっぴ、アユム君困ってるからおとなしくしようねー」
車から降りてきたマリサが、ニヤニヤしながらユイをなだめはじめる。どうも、マリサは、ユイを変わった小動物か何かだと思っているらしい。
「あ……」
突然、ダイチが声をあげた。
「どしたの?」
マリサがダイチに訊く。
「音入ってないわ。もっかいだね」
「ほんきーとんくうぃめーん!」
ユイは叫び、そのまま僕がさっき指定した場所まで走っていく。僕は、ユイの叫び声を聞き、今日は帰ったらすぐに風呂に入って寝ようと思った。
「あゆむん」
再び車の窓から顔を出した塔子さんが僕に語りかけた。
「ねえ。小さな子供がどうしてワガママか分かる?」
「え?」
急になんだろう。
「次なんてないことを知ってるからだよ。また今度、なんてないって分かってるの」
塔子さんは笑顔だ。でも、いつもの意地悪そうな笑顔じゃない。
「ゆいっぴは、それを理解してるのかもよ」