「聞いたよ、昨日のラジオ」
僕の部屋のテーブルに今まで見つけた「絵」の写真をまとめたファイルを広げ、マリサは言った。
「月曜日はネットで深夜ラジオも聞かなきゃいけないから、もう眠くて眠くて。そういえば谷川さんに、絵のこと聞いてくれた?」
「いや……」
本当は忘れてしまっただけなのだけれど、それだとマリサからの残酷な罰を受ける可能性がありそうなので、質問する前に時間がきてしまったことにした。ダイチは、土佐先生の家で作業をしているのでここにはいないため、後で連絡をとって口裏を合わせてもらおう。
「谷川さんもゲルニカ事件の時、ちょうどうちの学校に通ってたから、何か知ってるかと思ったんだけどね。でも、塔子さんも詳しいことは知らないって言ってるし……」
マリサは地道に調べ続けてはいるが、端的に言ってしまえば落書きの犯人探しのため、あまりおおっぴらに聞いて回ることはできないようだ。
「描き手を見つけて、引きずり出したいわけじゃないんだよねえ」
「知りたいだけって言ってたよね」
ゲルニカ事件のことはともかく、マリサがあちこちで見つけた絵に関しては、そもそも気づいていない人のほうが多い。ゆえに、犯人を見つけて公表したいわけではないマリサとしては、ゲルニカ事件のことを聞いて、あの事件に対し、特に不快感を持っておらず、他の一連の絵の描き手が分かったところで秘密にしておいてくれそうな人にしか詳しい話を聞けずにいる。ただ恥ずかしいから他人に言えない僕とは違うのだ。
「そういえば、アユムの部屋って、ちゃんと鍵があるんだね。ちょっと意外」
「どうして?」
「お母さんと仲良さそうじゃん」
「ああ……」
顔も覚えていない父親のことはともかく、たしかに僕は母さんに対し、ちょっとした喧嘩くらいはするものの、鍵を閉めて部屋に閉じこもるような大喧嘩をしたことはない。あまり、顔を合わせる時間がないせいもあるだろうけれど。
「あたしの部屋には鍵がないんだけどさ、そりゃ、いくらあたしだって親と喧嘩して、本気で殺してやろうと思ったことなんてないんだけど、でも、本気とまではいかなくても、死ね死ね死ねくらいのことは考えるんだよね。でも、それって向こうもきっと同じでしょ? 鍵もかけずに寝てることがたまに怖くなるんだよね。台所には包丁だってあるし、そもそも部屋にハサミだってあるんだから、刺そうと思えばいくらでも刺せるんだし」
考えてみれば、人が人を殺す時、もっとも多い関係性は家族だろう。マリサから仲が良さそうと言われる僕と母さんでさえ、お互いの部屋にちゃんと鍵はついている。ひょっとしたら、鍵をつけているからこそ良好な関係でいられるのかもしれない。でも、部屋に鍵のないマリサにこんなことを言うのは気が引けた。僕は話題を変えることにする。
「話変えて悪いけど……」
一応、確認もとる。マリサは「別にいいよ」と言っている。
「今さらだけどマリサはさ、どうして絵の描き手が知りたいの?」
「うーん……いや、知りたいっていうかさ、自分の知らないことがあるって悔しくない?」
その感覚は分からないでもない。そういえばマリサは現在、学年でもトップレベルの成績なのだけれど、、教師や自分よりテストの成績がよかった奴に対して、「あたしより理解しているのがムカつく」という思いで勉強しているのだとも言っていた。
ただし、そんなマリサも、塔子さんに対しては、前にも言ったとおり、憧れはしても、悔しいとは思わないらしい。
「あと、あたしはさ、何か調べてるその過程自体が楽しいのかもしれない。どっかで、答えが見つかっちゃったらつまんないなあとも思ってる」
ダイチは知ることそのものが楽しいと言っていた。対してマリサは、知る過程のほうが楽しいと言う。なんだかんだで、僕の追っている「空飛ぶかたつむりの謎」にも首を突っ込んできているのは、それが「解決しそうにない謎」だからかもしれない。ずっと過程が味わえる。ひょっとして、塔子さんに心酔しているのも、絶対にああはなれないという思いからなのだろうか。