『空にかたつむりを見たかい?』 第41回

「あったよ。これこれ」

 マリサが持ってきたのは、土佐先生や塔子さんが中学三年生だった時の学級新聞だ。

 部活動をしていない僕たちは、夏休み中、中学校を訪れることはなかったのだけれど、今日は許可をもらって図書室に集まっている。一応、閉校記念式典に関する話し合いをすると言っておいた。

「よく残ってたね、こんなの」

 十年以上前の学級新聞なんて、この中学校に残っているとは思わなかったので、僕は感心しながらそう言った。

「誰か、マメな人がいたみたいだね。ほら、ここ」

 マリサが数枚の新聞のうちから一枚を取り出し、その下の方にある記事を指差した。

 

○○○   ○○○   ○○○

 

『雨上がりの青空に』

 

 晴れた日のかたつむりが、どこで何をしているのか知っているだろうか。

 晴れた日にかたつむりを見かけることが少ないのはなぜなのか。あれほど動きの鈍いかたつむりが、雨が止み、空気が乾いた途端、忽然と姿を消すのはなぜなのか。

 実は彼らは飛べるのである。彼らの殻と呼ばれる部分、あの渦巻状のものは、実は殻ではなく、羽を畳んでしまった状態のものなのだ。羽は濡れてしまうと飛べなくなる。だから、彼らは雨になると我々の前に姿を現すのだ。

 雨の日の彼らの動きが鈍いのもそのせいだ。陽が差し、羽が渇くと、渦巻き状の殻に見えたものは、まっすぐに伸び、左右に生えたたくさんの羽が彼らを再び空に飛び立たせる。では、なぜ飛んでいるかたつむりを見ることがないのか。

 スカイフィッシュをご存知だろうか。近年、オカルト好きの間で話題になっているUMA(未確認生命体)だ。カメラで撮影した映像に偶然映りこんだ、高速で動く謎の影。肉眼では確認できないスピードで飛び回る謎の生物。それがスカイフィッシュだ。進化したアノマロカリスではないかといったオカルト的憶測や、ハエなどの昆虫がカメラとの距離やスピードの具合によって、謎の高速生命体のように見えてしまうのではないかといった信憑性の高そうな検証まで、色々と説はある。だが、このスカイフィッシュこそ、「晴れた日のかたつむり」なのだ。

 スカイフィッシュは肉眼で確認できないほどのスピードで飛んでいる。そのスカイフィッシュの正体は空飛ぶかつむりである。つまり、空飛ぶかたつむりが目撃されることはない。これが、真相なのである。

 もちろん読者は、こんな話を信じないだろう。私も「真相なのである」と書きはしたが、実際のところ、証拠を持っているわけではない。あるのは、根拠のない自信だけである。

 ちなみに、このスカイフィッシュ=空飛ぶかたつむり説には、関連する噂が他にも色々と存在する。

 例を挙げると、空飛ぶかたつむり=かたつむりの思念体説だ。これは、本来飛ぶことはおろか、地上さえも緩慢な動きで這いまわることしかできず、狭い世界で生涯を終えるしかないかたつむりの「広い世界で生きたい」という意志が実体化して、スカイフィッシュと呼ばれる姿となり、世界中を飛び回っているという、よりオカルト色の強い話である。生涯を船の上で過ごしながら、想像力で世界中を旅した『海の上のピアニスト』の主人公・ナインティーン・ハンドレッドや、病弱でベッドから出られなかったが、「空飛ぶベッド」で夢の世界を飛び回った『ドラゴンクエストⅥ』に登場する少年・ジョンのようなものだ。あるいは、タモリさんが時刻表を見て旅気分を味わっているのも似たようなものかもしれない。

 いずれにしても、あくまで推論である。だが、土地や重力に縛られて生きるよりも、自由に世界中を飛び回ることにロマンを感じるのなら、空飛ぶかたつむりたちの姿を愛してほしいと筆者は強く願う。

 

 追記 UFOの正体は、進化した巨大なくらげであるという話もある。

 

(三年A組学級新聞『げんごろう』二○○一年九月号より)

 

○○○   ○○○   ○○○

 

「何これ。アユムの言ってたことと、ほとんど同じじゃん」

 ダイチの言う通り、この記事……と呼んでいいのかどうか判断しかねるけれど、とにかくここに書かれているのは、僕があの時に見た「空飛ぶかたつむり」の姿とほぼ一致する。そして、晴れた日にしか飛ばないという、根拠のない僕の勘とも一致する。

「しかし、こんな話をよく学級新聞に書いたもんだね」

 妙な昂揚感を抑えつつ、僕は言った。学級新聞って、いわゆる「常識的」に考えれば、こんなことを書くためのものではないだろう。

「この『げんごろう』ね、一応、その時期の行事とか、クラスや学校の問題なんかについても書いてあるんだけど、必ず一個、こういうタブロイドみたいな記事が載ってる」

 マリサに言われ、他の号に目を通しはじめる。校庭の記念樹に毎年一センチの傷をつけ続ける初代校長の幽霊、時をかける管理人、古代クラゲ文明、小麦が世界を支配する日……。

 ちなみに、空飛ぶかたつむりの記事が載っている『げんごろう』二○○一年九月号には、例の「ゲルニカ事件」のことも書かれていた。記事の内容は、当時の実際の新聞記事を学級新聞風に薄めただけのもので、おそらく一連のタブロイド記事とは筆者が違うのだろう。新聞委員のうちの一人か二人が、ちょっとおかしな人だったらしい。

「これをどっかで読んでたわけじゃないよね」

「断じて違う」

 ダイチの問いに、僕は即答する。なんなら、母さんに確認してもらってもいい。母さんが、あの時のことを覚えているかどうかは定かでないけれど。

「で、この記事を書いたのが……」

 マリサが楽しそうに僕の顔を見て言う。

「土佐先生ってことか」

 僕が答えると、マリサは頷いた。

 『げんごろう』の末尾にしっかりと書かれていた。新聞委員長・土佐洋太という文字が。