『空にかたつむりを見たかい?』 第44回

 事実だってことにしちゃえば、案外信じる奴が出てくるんだよ。いいことかどうかは、時と場合によるね。

 たしか、ムー大陸だったかアトランティスだったかは忘れたけど、最初は創作物として世に出たんだ。でも、相手にされなくて、事実だってことにした途端、信じる奴が出てきたんだ。

 ルー・ストーンって知ってる?

 昔、コネチカット州のウィンステッドっていう町で「毛むくじゃらの野性児」とか「焼きリンゴのなる木」とか、いくつもデタラメ記事を書いて有名になった新聞記者だよ。でも、ウィンステッドには、ストーンの死後、こんな看板が立ったんだ。「ウィンステッドは、この街にあるとされた珍妙な物語のおかげで地図に載った。それは、ウィンステッドの大嘘つき、ルー・ストーンのおかげだ」ってね。

 ミステリーサークルが、二人のおっちゃんによって作られたのは知ってるよね? あのおっちゃんの片割れはね、ミステリーサークルを作ってる時、よくこう叫んでいたらしいよ。「世界でこの秘密を知ってるのは、俺たちだけだ!」って。

 ヴィヴァルディとかの未発表曲を発掘したと言って自作曲を披露して、評論家を騙しきったクライスラーとか、天才贋作師メーヘレンとか、世界は愉快な嘘つきで溢れてる。みんな、自分たちだけが秘密を知ってるから、そりゃあ気持ちよかったと思うよ。

 もちろんさ、その秘密や嘘は、愉快なことでなけりゃいけないと思う。無駄に他人を不安にさせるようなものじゃなく、ナンセンスであれはあるほどいいんじゃないかな。そのほうが、楽しく生きられそうじゃない?

 

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 藤堂蘭人。

 それが、塔子さんの言う、ゲルニカ事件の主犯となった人物の名前だった。

「みんなは、ラントって呼んでた。あたしは、違ったけどね。もっと可愛く呼んであげてた。別に、あたしはラントたちが絵を描くところを目撃したわけではないんだけどね。ただ、当時からきっとそうだと思ってて、ある人を問い詰めたら、アタリだったってだけ。ちなみに、絵を描いたのはラントじゃない。別の奴。ラントは、そこまで絵が得意だったわけじゃないから。作曲者と演奏者みたいなものかな。ラントはね、その別の奴が描いた絵を気に入って、それの型紙やポスターを作ってあちこちにばら撒いたってわけ。絵の内容について、だいぶアイデアは出してたみたいだけどね」

 僕は思いがけず、マリサに対して、ずいぶんと大きな秘密を持ってしまった。でも、マリサは秘密に辿り着くまでの過程を楽しんでいるのだから、秘密を秘密にしておく罪悪感に苛まれることもない。

「愉快な秘密に愉快な嘘。ラントがレクチャーしてくれた、とっておきの世界の楽しみ方。あ、そうだ。嫌な奴との付き合い方でも、嘘や秘密は役に立つんだよ」

「どうするんですか?」

「バレるとマズイくらいの嘘をついておけば、必要以上に関係を深めずにすむじゃない。予防、予防」

 ラントさんの話をする塔子さんは、とても楽しそうだ。こんな時、僕が小説や漫画や映画の主人公であったら、きっとラントさんに嫉妬したりするのだろう。でも、そんな気持ちにはならない。ここでラントさんに嫉妬するようなら、とっくに土佐先生に対しても嫉妬していただろう。カッコつけと思われるだろうから、口には出さないけれど、僕はたぶん色恋沙汰で振り回されるほど湿っていない。

 けれど、気になることはある。だから、訊く。

「ラントさんは、今何をしてるんですか?」

「それはね」

 塔子さんの笑顔が、いつもの意地悪そうな笑顔に戻った。

「おしえてあげないよ、ジャン」