もう少し暗いうちでも良かったかもしれない

 先日、早朝にこっそり墓参りに行ってみた。早朝ゆえに人もおらず、いわゆる密を気にする必要もない。陽は出ているので、目に見えぬ存在に不必要に恐怖する必要もない。土地柄、むしろ目に見える熊さんに気をつけたほうが良い。

 御供え物は持ち帰るよう貼り紙等もされているが、ちらほらと供えられっぱなしの果物や菓子が目に入る。あまり痛んでいるようにも見えないし、カラスについばまれた様子もないので、おそらく最近置かれたものだろう。ゴミとはわけが違うので、私が収集して歩くわけにもいかない(そもそも、潔癖症の気があるので触れたくない)。

 御供え物用として売られている果物は、びっくりするほど美味しくないという話をよく聞く。食べ物を粗末にするのも気がひけるが、うまくないものを無理して食べるのはもっと嫌という我が一族は、基本的に御供えに果物を用意せず、菓子の類でまとめる。菓子ならば果物より痛みにくく、たとえ不味くとも体調の優れた日を見計らって茶などで流し込むことが容易である。落雁の微かな甘さは嫌いではなかったりもする(問題は固さであるが、幸い歯医者さんだけには褒めてもらえる口内環境なので、噛み砕くのに難儀することはまだない)。

 私が生まれる前に亡くなった父方の祖父の眠る墓地に、毎年欠かさず訪れているのは、別に殊勝な心がけで生きているからではなく、単にこの墓地の雰囲気が良いからだと思う。人並みに憶病だったはずの幼い頃から、この墓地に恐怖することはなかった。まあ、呆れるほど霊感がないだけなのかもしれないけれど。