お茶が好きな理由はなんとなくわかる

 母方の実家は親族付き合いが濃いほうで、大勢の親族・知人たちが集まっての宴会等が開かれることも少なくなかった。さすがに年々、親族陣の高齢化などもあって頻度は減り、今年に至ってはこのようなコロナ御時勢のため強い意志を持って結集を避けているわけだが、私も幼少の頃、宴会の隅のほうで大人たちが酒を酌み交わすのを観察したり、出会った記憶のないおじさんやおばさんから成長を喜ばれたりしながら過ごした。特に気の合う相手がいたわけでもないが、逃げ出したくなるほど嫌な相手がいたわけでもなかった。

 なのに、現在の私が大勢の人間がうごめく場所が苦手で、歓待はするのもされるのも苦手という人種になってしまったのは何故であろうか。嫌な相手がいないとはいえ、そりゃ多少ストレスに感じる場ではあったものの、ここまで苦手になることもなかったのではないか。しかし、その苦手ぶりゆえに、今はコロナの脅威から遠ざかることが出来ているのだから、前向きに考えれば「思いのほか、我は神に愛されている」と言うこともできよう。「悪運が強い」とも言えるかもしれないが。

 さて、人間にもコロナにも好かれることの滅多にないという私とは違い、今は亡き祖父は父方・母方両者ともに、たいへん慕われていたらしく、私自身には誰だかわからんのだが、どうやら縁があったらしい方々が仏壇に手を合わせに来てくれたり、お供えを持ってきてくれたりしていて、今年も時勢柄、直接足を運ぶ人はいないものの、お供えだけはと送り届けてくれる方々がいる。お供え物の最終処理は我が家の住人たちになるため、我が家においてはコロナよりも糖尿病に気をつけなくてはならない。父方の祖父は私の生まれる前に亡くなっているので、一度お会いしてみたいのはやまやまなのだが、それはまだ早いのである。

茶の本

茶の本

  • 作者:岡倉 覚三
  • 発売日: 2020/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)