サンジェルマン伯爵のはじめての長すぎる生涯

 「輪廻転生を繰り返すのと不老不死の力を得るのとでは、どちらがより人間として成長できるのだろう」などと確かめようもないことをだらだらと考えたりしていたのだが、考え事ができるくらいには落ち着いてきたと捉えるべきか、またわけのわからんことを考えて相変わらず病んでいると捉えるべきか。後者の可能性が高いように思えるが、精神の安定のためには、何事もなるべく前向きに捉える必要性があるので、無理矢理にでも前者であると言い張ることにする。

 さて、生まれ変わり云々を主張する人たちについては、なんだか信じてしまいそうになる者もいれば、鼻で笑って済ませておけば良い類の輩もいるけれど、概ねどちらも「前世の記憶は断片的にしか残っていない」という点では共通している。少なくとも、「強くてニューゲーム」というわけにはいかないようだ(これが可能であれば、生まれた途端に3ヶ国語くらいを流暢に喋りだす赤ん坊や、微分積分を理解している赤ん坊が続出するはずである)。

 もっとも、認知症というわけでもないのに、前世どころか数時間前の記憶すらあやふやな人も少なくないので、輪廻転生の仕組みとして記憶がほぼリセットされるのではなく、単純に人間というものは、それほど記憶を維持できないだけなのかもしれない。だとすれば、微分積分のできる赤ん坊もいずれ誕生する可能性も低くはあれどゼロではないのだろう。しかし、いずれにせよ、輪廻転生による人間的成長というのは、非常にゆっくりとしたものになりそうだ(以前、『グータンヌーボ2』で玉城ティナさんが「自分は人間3回目か4回目」という話をしていたけれど、自己申告する回数としては多過ぎず少な過ぎず良い具合の予想だと思う)。

 では、不老不死が可能だったとして、それが輪廻転生の繰り返し以上の早さでの成長をもたらすかと言えば、どうもそういう気がしない。不老不死(だと噂される)サンジェルマン伯爵は、確かに博学ではあったようだが、その後の目撃情報を眺めてみても、長く生きているわりには、良くも悪くも存在が確実視されていた時期と大して変化はないように思える。少なくとも、今も伯爵が生きているのだとしても、世界から戦争や差別をなくせるほどの人物にはなっていないのは確かだ。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」とも言われるわけであるし、同じ人間として長く生きても、あまり意味はないのだろうか。西尾維新の『物語シリーズ』に登場する、約600歳の吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(この長いフルネーム大好き)なんて、生きれば生きるほどアホになっているフシがあるけれど、案外そんなものなのかもしれない。まあ、苦悩だけが長引いている『グリーン・マイル』の主人公よりは楽しそうではある。

業物語 (講談社BOX)

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グリーン・マイル (上) (小学館文庫)

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グリーン・マイル (下) (小学館文庫)

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