野性の証明

 「同性愛に対する差別や偏見は繁殖という生物の根源的目的(と言い切ってしまえるのも充分に短絡的に思えるが)に反していると感じるがゆえに起こるのではないか」といった旨の意見を目にすることがあるが、同性愛であることと繁殖能力がないこととは無関係であるし、同性愛でも子供を持ちたいと願う人も当然存在し、実際に子供を持つ方法はいくらでもある。繁殖/繁栄に反するという理由から差別や偏見が生じるとするのならば、その対象は「同性愛」ではなく「子供を持つことを望まぬ者」になるはずで、事実そういった人たちに対する差別や偏見も根強く、これもまた考えていかなければならない問題なのだけれど、どうにも「同性愛というだけで繁殖/繁栄に反するとは言えない」とは微塵も考えないらしい人たちの思考回路の方が気になってしまう。

 生物の根源的目的(だと発言者が信じるもの)に反しているのが差別や偏見を生む理由だとしたがる者たちの「そう考える理由」とは何だろう。差別する側からの意見としては、根源的目的に反するとしてしまえば大議論的正当性が得られるからだと容易に推察することができるのだが、差別や偏見そのものには反対しつつも、差別者がそのような感情を抱く理由を同じような主旨の意見で説明しようとする者たちは、どのような思考のプロセスを経たのだろう。

 あくまでも推察だが、「根源的目的に反するという理由で差別や偏見を正当化している」と考えれば、すなわち差別する側は「原始的な思考に留まっている」とも言い換えられる。逆に言えば、差別する側を批判的に見ることのできる自分たちは「高度な文明を生きる者」と捉えることもできるだろう。「どっちもどっち」と問題を有耶無耶にするのもまた短絡的な振る舞いだが、少なくとも「根源的目的(とされるもの)に捕われている者たちを批判対象にする」といった思考を邪推されるようなやり口が問題解決の近道だとは思えない。

 人間が文明を発達させてきたのは、単純な弱肉強食の世界(人間以外の生物世界だってそれほど単純ではないはずだが)よりも、そうした方が繁殖/繁栄、そして生存に適していると判断したからだろう。とすれば、文明の発達自体も「根源的目的」とやらに則したものになる。ならば、差別や偏見が生じる理由は、差別する側が原始的であるからというよりは「文明を都合よく解釈した際に生じる副産物のようなもの」と捉えたほうが納得できる気がする(そもそも、単純な捉え方による単純な弱肉強食の世界においては、おそらく弱いものは自然に淘汰されてゆくだけであり、生き残った側が必要以上に弱者を相手にすることもないだろう)。もちろん、これは差別する側とそれを批判する側がそれほど遠い位置にいるわけではないということでもあり、だとすれば批判する側がそういった点から目を逸らしたくなるとしても気持ちはわからないでもない。なにしろ、自分の醜い面と向き合うというのは当然しんどい行為なわけで寿命をも縮めかねない。それは生物の根源的目的とされるものの代表例の一つである「生存」とやらに反する行為といえるだろう。


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