「あなたの活躍の為に犠牲となった人々は、あなたの活躍を見ることすらないだろう」

 「スポーツの力」というような言葉が嫌いだという話は、6月13日の日記でも書いたが、たまたま目にしたテレビ番組で内村航平が「スポーツの力でみんなを元気に」などと言っているのを聞いてしまい、もともと良い印象は持っていなかったが、平時でも嫌な言葉をこの状況下で述べる姿に憎悪すら抱いてしまった。

 たしかに彼の活躍によって「元気になる」人もいるのだろうけれど、その「元気になった人」たちが溢れる元気を気持ちよく発散させた結果、新型コロナウイルスの感染拡大はさらに厄介な形となり、元気になっていた人だけでなく、もともと元気のなかった人にまでウイルスの直接的脅威が襲い掛かるというような最悪のシナリオへ至る可能性も想像してしまう。もしも、それによって自分の好きな人やものが失われでもすれば、憎悪どころか殺意を抑えこめる自信もなく、報復の機会を狙うことになる。機会が訪れなさそうなのは、幸いと言うべきか無念と言うべきか。

 さて、オリンピックで好成績を残したアスリートが、その後のメディア出演等での報酬も含めると、どれだけの利益を得るのかは知らないが、はたしてオリンピックの陰で営業休止や縮小を余儀なくされ、利益を失うどころか生活に窮するほどの打撃を受けた様々な業種、あるいはイベントの中止等でそれぞれの生きる糧を奪われた人たちに対し、得た利益の何割かでも寄付や援助に回す者は現れるだろうか。「スポーツの力」などという抽象的なもので元気になれるのは、基本的に元々スポーツを好んでいる者だろう。「○○の力」とやらで元気になれるのは、スポーツに限らず「○○」の信奉者に限られがちになるものだが、今回はさすがにそれ以外への犠牲が大き過ぎるように感じるのである。