生まれてこなかったかもしれない男

 誕生日が7月なので、どうしても運転免許の更新が夏の暑い時期になってしまう。出歩きたくない季節に、わざわざ車なんぞの話を聞きに行くのは不愉快と言っても良い。優良講習といわれても、ちっとも嬉しくはない。せめて、もう少し安価になりませんかね。

 しかし、私くらい車社会というものを憎んでいるような人間は、適正検査で落されても仕方ないのではないかと考えたこともあるが、むしろ危険な運転をする可能性が低いと捉えられているらしい。危険な運転どころか、そもそも免許取得以来、一度もハンドルを握ったことがないのだけれど、無事故無違反には変わりない。

 以前、テレビ東京で放送されていた『新shock感』という番組のなかで、あのちゃんが適性検査で落されたと思われる話(本人曰く「受付で落とされた」とのこと)をしていたが、本来はニュース等で報道される煽り運転の加害者たちも適性検査の時点で落としておくべきタイプの人間たちのはずである。自動車の危険性というものを考えれば「適性検査で落ちる」というのも、それなりの頻度で起こりえるべきだと思うが、あのちゃんが周りから驚かれていたように、割とレアな事態として捉えられている。

 はじめて自動車学校に行った時、車に対する憎悪と恐怖を隠そうともしない私に対し、教官は「絶対に取得できるから」と励ましてくれたのだが、大半の人間が「絶対に取得できてしまう」からこそ、私は車社会を憎み、恐れているのである。まだ母親の胎内にいた時点で早々に交通事故に遭ったのだから筋金入りである(大事には至らなかった)。

 希望する職業において必要に迫られているわけでもないのに、やたらと自動車免許を取得したがるような人間は問答無用で不適正とされるくらいの厳しい世界であれば、私も少しはハンドルを握る気になるかもしれない。