「下げ」、燃ゆ

 あくまで私個人の話であるが、応援は全く届いている気がしないのに、怨念の方は多少届いている気がする。思い返してみても、憎い相手が不幸に見舞われているケースの方が多いように感じる。逆に、いわゆる“推し”が自分の応援によって励みを得ているようには思えない。

 まあ、憎い相手の不幸に関しては「ざまあみろ」と思うが、自分が幸せになっているわけではないので、そういう能力があるのだとしてもさほど嬉しくはない。

 

(追記)ところで、「推し」の反対の言葉は結局なにが適当なのだろう。引きずり降ろしてやりたいような対象のことだろうから、タイトルにも使った「下げ」あたりが良いと思うのだけれど、どうだろう。