「寝る子は育つ」と大声で叫んで寝た子を起こす

 「逆境が人間を成長させる」と述べる者が、敢えて自らを逆境に立たせようとしている姿を目にした記憶がなく、ひょっとして「逆境が人間を成長させる」のではなく「成長の止まった人間は“逆境が人間を成長させる”と言いたがるようになる」の間違いなのではないかと考えると、そもそも逆境というのは、そんな成長の止まった人間たちによる後進への嫌がらせみたいなものではないかと思えはじめ、それによって後進たちから嫌われることこそが成長の止まったように見える人間が自らに強いた逆境なのかしらとも考えたが、成長の止まったように見える人間は、やはり成長が止まっているようにしか思えず、だとすればちっとも逆境は人間を成長させていないじゃないかと怒りをぶちまけたくもなるが、あまり頻繁に怒りをぶちまけていると周りから疎まれ、結果的に逆境に立たされ、成長もままならなくなる。コロナ禍によって感染および重症化せずとも、マスク生活やその他感染対策、それにともなう社会全体のいざこざ等によって呼吸することすら一苦労となった今、仮に逆境や苦労が人間を成長させ得るのだとしても、わざわざこれ以上逆境を増やす必要はないと思うのだが、飽きもせずにむやみやたらと他人に逆境や苦労の種を植え付けようとする者の存在を目にすると、やはり怒りをぶちまけてすっきりしたくもなるのだが、先述の通り、それがまた別の逆境や苦労を発生させることになりかねないので、薄い呼吸でじっとしているのが一番だと考え直すものの、母親の神経をすり減らせたであろう赤子時代の泣き声よりも何倍もやかましいエンジン音を響かせて走り回る成長の欠片も見受けられない阿呆など目にしてしまい、窓に向かって「やかましい!」と怒りをぶちまけてしまった私もまた「成長」とやらから遠のいてしまったのだろう。