こんにさわ!!キャシィ先生

 東京五輪が招致できるかどうかと騒がれていた、今となっては当時から五輪反対派であった私さえ「何と平和だったのだろう」と思ってしまう懐かしきあの頃、たしかアスリートや芸能人が東京開催が決定したらこんなことをすると公約を掲げる「TOKYO2020 楽しい公約」とかいう企画が催されていた。

 もっとも、スポーツへの憎悪が深い人間なので、そんな公約の羅列を見てしまえば、それはすぐに「ぶっとばすリスト」(@スマイリーキクチ)へと変貌してしまうし、なにより私自身の精神衛生に多大な悪影響を及ぼすので、なるべく五輪関連の話題からは距離をとっており、当初はそんな企画があったことすら知らなかった。宇野常寛さんが「はっきり言って、サムかった」と書いているのを読んで、はじめて企画の存在に気づいたのだが、想像以上の残念さと醜悪さにまみれつつもどうにか閉幕した今、ふと「あの公約はどうなったのだろう」と思い出してしまい、改めて当時掲げられた公約を眺めてみたのだけれど、実行されたと思われるものがほとんど見つからなかった。

 コロナ禍の影響等で実現不可能となったであろう公約もあるにはあるのだが、宇野さんに「僕は彼女が何者なのかも分からなかった」と書かれていたタレントのホラン千秋による「ちょっとの間、ゴリン千秋に改名する(2020年、つまり当初の開催予定年に実行予定とされていた)」などは、サムいかどうは別としても、御自身が勝手に名乗れば良いだけのことなのでいくらでも実行可能だったはずだが、どうにもされた様子がない。まあ、2020年は周知のとおり既にコロナ禍であり、最後まで中止を求める声も多かったなか、このような浮かれた一時改名を実行できるほど恥知らずではなかったのだろう。公約そのものが恥ずかしい気もするけれど。

 しかし、「開会式のどこかのシーンで必ず見切れます」というダウンタウン浜田雅功の公約が実行できなかった(はず。見ていないの確証はない)のは仕方ないにしても、五輪の話題ばかりツイッターで呟く東野幸治を「ブロックしたろうかと思った」と語った松本人志に開会式出演疑惑(あくまで疑惑)が浮上していたのは、いったい何の因果か。いっそ、キャシィ塚本といった危険なキャラクターに扮していた頃の松っちゃんが、式も競技も全て破壊してくれたほうが、少しは私の溜飲も下がったことだろう。