電化製品は火葬場の夢を見るか?

 家電が駄目になるタイミングが重なるというのは、なかなか精神にくるものがある。おおむね、家電を買い替えるタイミングというのが、引っ越し等で同時期になったりするため、必然的に寿命が同じくらいの製品がたて続けに御臨終なさるのが要因とひとつとして考えられるが、それだとどこかのタイミングでいずれかの製品をまだまだ使えるうちに新調しなければ、その負のサイクルを崩すことができなくなるわけで、貧乏性としてはなかなか踏ん切りがつかないし、そもそも要因のひとつとして考えられるだけであって、明確な原因であると自信を持って言えるわけでは決してない。

 電気ポットの保温効果が弱まっているようで、しつこいほど沸騰させるようになったのを皮切りに、HDDレコーダーが言う事を聞かなくなり、洗濯機が嫌な音をたて、余波なのか何なのか家電ではないが、私の眼鏡まで壊れた。小さな不運の積み重ねで苛々も溜まり、ちょっとしたことで声を荒げそうになったり、涙が出そうになったりもする。「明るい気持ちで臨めば、おのずと幸運も舞い込んでくるよ」などと助言したがる者もいるし、確かにそういう面もあるのだろうが、そう言われて素直に前向きな気分になれるのであれば、そもそもこれほど落ち込んでおらず、むしろその助言が小さなストレスの一部となる。

 「むしゃくしゃしてやった」という犯罪の動機はよく耳にするし、法を守って生きている状態で聞けば「その身勝手な理由を聞かされるほうがむしゃくしゃするわ!」と怒鳴りたくもなるのだけれど、おそらく、今の私にも降りかかり続けているような小さな不運の積み重ねによって引き起こされた凄惨な事件がたくさん存在しているのだろう。実際に相手を救える自信と実力がなければ、軽はずみで薄っぺらな助言など効果がないどころか、下手をすれば自分の命を奪われる原因ともなる。もっとも、そういった想像が欠片も浮かばない能天気なおめでたい方でなければ、薄っぺらな助言を堂々と口にしたりもしないのだろうけれども。