ムショの糸

 高校生の頃、地元の小さな映画館で財布を拾ったことがある。どうやら、直前までの上映を鑑賞していた老人のものらしく、別にこれから観ようとしていた作品が『刑務所の中』だったからではないが、魔が差すこともなく、すぐに受付に届けておいた。

 映画館の経営者でもあったはずの受付の男性は「あの爺さんだな」と言って急いで追いかけていったが、私は映画を観逃すほうが嫌だったので、すぐに席に戻った。上映終了後に財布が持主の手に渡ったかどうか聞かされることもなく、後に地元新聞の「読者の声」で“親切な高校生が届けてくださったらしく……”などと感謝されることもなく、20年近く経った今なお、結局どうなったのかは分かっていない。映画館自体も、コロナ禍を経験することすらなく、10年以上前に閉館してしまった。

 さて、当時の私の判断は正しかったのだろうか。確認しようもないが、ひょっとして受付の男性がネコババしてしまったのではないか、持主を発見できず交番に届けたものの私の存在をすっとばして所有権を合法的に獲得してしまったのではないか、しかし悪銭身につかずで経済を潤すような使い方すらできなかったのではないか、それならいっそ私が悪人になっておいたほうが結果的にはマシだったなんて可能性もなくはないのではない……などと、なんだか魔が差してネコババするよりも罪深い考えが時折頭を乱走する。こんな奴に当時魔が差さなかったのは奇跡かなにかだろうかなどとも考えはじめ、今度は段々と自虐的思考に憑りつかれたりもする。

 まあ、地獄で蜘蛛の糸の一本くらいは垂らしてもらえる可能性を生じさせはしたのかもしれないが、あの日の行動は報われるどころか、ちょっとした悩み事として引っ掛かり続けているのは確かである。