散々クド

 『孤独のグルメ』でお馴染みの久住昌之泉晴紀とのコンビ「泉昌之」名義で発表した短編漫画『最後の晩餐』(名短編集『かっこいいスキヤキ』収録)は、スキヤキに対する己の美学を貫く男の悲喜劇(と言って良いかどうかはわからないけれど)であるが、作中に豆腐の口を開け、肉を挟み込むようにして食すという技が描かれる。「これはなかなかテクニックがいるぞ」と主人公が言うように、私には実践できるほどの器用さはない。

 しかし、豆腐と肉を同時に食すのが「なかなかうまい」ことは事実のようで、肉をあまり好まない者に私にとっては、むしろ、そうでもしなければ肉を食すことができないのだと最近になって理解した。それも、脂の少ない豚肉限定の話であり、牛肉などは近づくことすら拒否したいほどである(匂いからして、私にはくどくて耐え難い)。警戒することなく近づけるのは、幼い頃から鶏肉だけなのだ。

 ゆえに、そもそもスキヤキなど自分から進んで食卓に出すことなどなく、「豆腐と同時に食せばなんとかいける」のが判明したのも、たまたま一口くらいは食さなければ申し訳ないような状況に置かれたからである。前述のとおり、豚肉だったから助かったものの、牛肉であれば豆腐の力を借りようが、手をつけない以上に無礼な生理現象(=嘔吐)を披露することになっていただろう。

 ところが、世界は私の嗜好を否定するかのように、牛肉的クドさに溢れているように感じる。コロナ禍以前より外食が苦手だったのは、多くの場所で耐え難いクドさをぐいぐい推してくるからでもある。生野菜すら排除し、これでもかと味付けされたものばかりが売られるようになってしまえば、きっと私は生きていけないだろう。そう遠くない未来なのではないかと、少々不安に思っている。


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