家に帰って卒業して記憶と折り合いをつけるまでが修学旅行

 私の父は、現在70代前半で、高校時代の修学旅行は空路ではなく、長い列車の旅だった。観光の記憶よりも、列車内の記憶の方が濃いらしい。

 それだけ列車移動の時間が長かったということもあるだろうが、それ以上にクラスメイトの女子が一人、重度のホームシックで精神を病んでしまったことが影響しているという。とても物静かな生徒だったはずが、やけに他の乗客に話しかけたり、車内を歩き回ったりしはじめ、引率の教師だけでなく、生徒たちの彼女の言動を注意深く見守るようになった。

 結局、自宅に到着すると押入れに閉じこもってしまい、以後は一度も登校してこなかったという。修学旅行に関するトラブルは私の時代にもあったし、それなりに深刻な話も聞いたことはある。ホームシックに陥るという話も特に珍しいわけではないようだが、ここまで重度のものは父の話以外では聞いたことがない。根本的に旅行の行程に無理があったのだろう。

 まあ、かくいう私も高校時代に修学旅行をボイコットしようとした人間なのだが、ホームシックというよりは、信用ならない連中との集団行動から抜け出したいというのが本音だった。どうにか参加免除の権利を獲得しようと、出発前の健康調査で事細かに体調の不安な点を申告したものの、職員室に呼び出されたことはないのに保健室に呼び出され、保健教諭からカウンセリングにも似た説得を受けてしまい、さすがに事が大きくなるのが面倒になって観念したのだが、実際の旅行中も「帰りたい」というよりは「逃げたい」というのが近い感情だった。私の呪いのような思いが妙な形で通じたのか、訪れた某テーマパークが翌月になってちょっとしたトラブルに見舞われたりもした。いや、さすがに私のせいではないと思うが。

 幸い、空の便が一般化しきった時代だったので、父の代ほどの長期スケジュールではなかった。それでも、あまり思い出したくない苦しい時間だったのは確かで、今もたまに旅行中に深刻なトラブルに巻き込まれる夢を見てしまうのは、後遺症と言って良いだろう。そして、私と似たような感覚を持った何割かの現代の学生たちが、コロナ禍によって修学旅行をはじめとする学校行事を避けることができたのを羨ましく思うのである。