『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(7)

 卒業式の翌日に祖母の家へ行くと、軽自動車が置かれていた場所が広い窪みになっていた。深さは私の腰の位置程で焼け焦げになった遺体が4体ほど転がっていた。「お前は短足だからな」と冷やかしてきた隣の親父も見分けがつかなくなったので放り込み、祖母に言われるより先に灰をまぶして埋めておいた。散歩から戻ってきた祖母に「灰までかけなくていいのに」と言われたが、特に問題もないらしいので安心した。

 その日、祖母と共に納屋の奥から取り出した古い絵画にはダビデ像のような肉体美の男性が描かれていて、モズノキ先生の弟がよく腰を押し付けるようになった。見ないふりをし続けるのに苦労した。モズノキ先生の弟が一心不乱に絵画と戯れている傍で、私はセメントのように固くなったチーズを割って池に投げ捨てる作業に没頭した。ちょうど野焼きの時期でもあり、空も空気も赤黒くなっていたので、それはそれで終末美といった趣が強くなり、好ましいと言えないこともなかった。惜しむらくは、互いの容姿が景色と釣り合わなかったことで、せめてもの努力としてゴンドラのない熱気球にぶら下がって森の上を飛んでみたが、ゆっくり近づいてくる地面はいつか見た衝撃映像そのもので、怪我もなく着陸できたものの失敗と判断するほかなかった。その日は空も青く戻っていた。