『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(8)

 祖母の管理するビニルハウスの傍にはピンク色のアルマジロに似た生き物がいた。柔らかそうな体をしており、窓から家に侵入してきた時には、祖母が手爪も気にせず捕まえて外へ放りだした。軽い怪我を負ったため伯母達が「早くしないせいだ」と騒ぐので、私は家でも手首を締め付けて耐えるしかなかった。伯母達が騒いでいるあいだに、開けたままの窓から猪や猫が次々に侵入してきた。連中が窓を閉めるのが遅いせいなので見ていると苛々してくる。結局、窓は祖母が閉め、猪や猫が追い払われた後も伯母達は騒々しいままで、祖母には申し訳ないが手伝いに来る回数を減らさなければならないと考えた。祖父が亡くなるまでは辛うじてバランスがとれていたが、それでも向かいの家よりはましだった。もちろん、ましであるというだけでのことであって、祖母が残念そうな顔をしながらも納得してくれたのは幸いだった。向かいの家の屋根には猿に似た禍いが居座っており、爆竹程度では祓いようもなかった。

 私の祖父とタッちゃんの祖父は、かつて町長の管理する雪山で大きな細い獣人を退治したことで有名だった。石ころを蹴って遊ぶ子供のように、獣人がスノーモービルを蹴り転がす映像はテレビでもよく見かけたが、祖父が入院生活を始めた頃には押しつけがましい明るさに取って代わられていた。陽気さが人を傷つけることがあるのを彼らは理解できないらしく、私たちは金を払ってでも映画館や美術館に逃げ込むしかなくなっていた。私も十五をこえた頃からは光の薄い場所に入り浸ることも多くなり、古書店や図書館を探して知らないはずの街をいつもの下校途中のようにさまよったりもした。